不安な文字組


  オリジナルのカバー、表題部分


鈴木清の最初の写真集『流れの歌』のカバーに印刷された表題をはじめて見たときの驚きについて、やや空想めいたことを語りたい。その驚きは何に由来したのか。それは一見素朴に見えて実は極めて大胆な文字の組み方だった。特にセンチュリー・オールドスタイル・イタリックの小文字で二文字分のスペースを空け緩く組まれた英題「soul and soul by kiyoshi suzuki」からは、まるで6つの単語が今にも四散してしまいそうな、流れ去ってしまいそうな不安な印象を強く受けた。



  ダミーのカバー、表題部分、書体指定が見える


モダン・ローマン体のひとつであるスコッチ・ローマン系に属するセンチュリー・オールドスタイルは日本の出版物では最もよく使われてきたありふれた欧文書体のひとつである。鈴木清はなぜセンチュリー・オールドスタイルを選んだのか? そして、なぜ題名と作者名を一体化するようにイタリックで統一し、しかも緩い組み方をしたのか? そんな疑問がムクムクと頭をもたげてきた。



  復刻版のカバー、表題部分


ところで、鈴木一誌がデザインを担当した復刻版の写真集の新しいカバーでは、題名と作者名は改行され、切り離され、単語間は一文字分の標準的なスペースに縮められ、作者名はイタリック体から正体に置き換えられている。この常識的な改変は、組版から印刷まで、造本の全過程に強く深くこだわり続けた鈴木清の暗黙の意図を捉え損なっていると感じる。鈴木清は敢えて常識的な組み方に抵抗し、題名と作者名とを不可分の一体の名としてイタリック体で組み、印刷したのではなかったか。


題名と一体化した作者名。それは写真集に関する鈴木清の根本的な考えを表していた気がしてならない。写真集にとって写真家はその外部に存在するのではなく、写真もろとも写真集の中に<埋葬>されたようにしか存在しえないと彼は考えていたのではないか。つまり、写真集を作るということは、収められる写真を撮った写真家、かつての自分を写真集の中に<葬る>ことを意味する、と。題名と作者名とが間断なく流れるようにセンチュリー・オールドスタイル・イタリックで組まれた英題からはそのような考えが伝わってくるような気がしてならない。


では、なぜ英題を成す六つの単語はセンチュリー・オールドスタイル・イタリックで二文字分のスペースをとって緩く組まれる必要があったのか? 特定の書体を使わざるをえないという制約は、普段はほとんど意識されることがない。しかし鈴木清は、最も標準的な書体を非標準的に組むことによって、その制約を意識に上らせようとした。なんのために? おそらく彼はデザイナーとして、どんな書体を選択し、どう組むかという常識的な安定したデザインの地平を越えた地平に立っていた。そして書体の同一性を揺るがすような非標準的な組み方を通して、文字そのものを垣間見る、あるいは文字の誕生に立ち会うような不安なデザインを目指したのではないか。もしかすると彼は特定の書体を文字そのものの<写真>として扱ったのではないか。そんな空想に耽ってしまうような英題の文字組である。邦題の文字組についてもほぼ同じことを空想してしまう。


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ちなみに、センチュリー・オールドスタイル・イタリックはアメリカ活字鋳造会社(American Type Founders)のために、リン・ボイド・ベントン(Linn Boyd Benton, 1844–1932)とモリス・フュラー・ベントン(Morris Fuller Benton, 1872–1948)の父子によって1906年に開発された。マーケティング目的で「センチュリー」と命名されたが、そのモダンデザインは、エジンバラのミラー・アンド・リチャード社(Miller & Richard )、ニューヨークのブルース社(Bruce)そしてボストンのディキンソン社(Dickinson)などの活字鋳造会社と提携していたスコットランドの書体デザイナー、アレクサンダー・フェミスター(Alexander Phemister, 1829–94)の影響を受けているという。


また、スコッチ・ローマンの特徴に関しては、かつてド・ヴィニー(De Vinne, 1828–1914)がその著書(Plain printing types, 1900)の中で、「小さくて均整がとれていて、丸みを帯び、アセンダ(ascenders)が長く、狭すぎず高すぎない文字である」と述べたという。


ついでに、イギリスの書体デザイナー、マシュー・カーター(Matthew Carter, born 1937)が1997年に設計した書体ミラー(Miller)はスコッチ・ローマンを復活させたもので、欧米の新聞に多用されているという。

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