昨日のエントリー(従属欧文、ヒラギノ明朝のもうひとつの秘密)で引用した小林章氏の文章のなかに登場する「1930年代の本」、和欧混植の横組活版印刷の本の頁の美しさに心動かされて、手元にある本のなかで和欧混植の活版印刷された本をめくっていた。
数冊あったなかで一番古いのがこの堀口大學譯、ジャン・コクトオ(Jean Cocteau, 1889-1963)著『阿片』(Opium, 1930)だった。奥付には昭和21年(1946年)1月15日に改訂初版印刷、同1月20日に改訂初版発行とある。印刷所は帝国産業株式会社(未詳)である。敗戦直後といっていい時期である。
前年1945年、敗戦の年の「日本への空襲関係」の記録を見て、暗澹たる気分になった。日本全国空襲ないし大空襲の嵐である。すっかり忘れていた。こんなにひどかったのか。私が生まれ育った室蘭市でも軍需工場と化した製鉄所やついに零戦が飛び立つことのなかった飛行場があったせいで、7月14日〜7月15日に空襲を受けている。死者439人という記録があった。こんな時期に、ジャン・コクトオの『阿片』の翻訳を敢行し、おそらく奇跡的に被災を免れた印刷所で、大変な苦労を伴う和欧混植の版が組まれたことを想像して、深い感慨を覚えた。
そういえば、以前調べて書いたように(活字再生プロジェクトは不可能か(2007-12-23))、大空襲にあった東京の印刷所の多くが敗戦後数年間、札幌に拠点を移したために、後に「札幌版」と呼ばれることになる本が多数出版されたのだった。
そんな時期である。書体デザイン(設計)の問題のはるか以前に、とにかくこうして印刷出版されたこと自体が喜ばしい。
イタリック体で組まれた不安定な印象の詩の一節。よく見ると異なる書体が混じっている。一行目では「i」が消え、二行目冒頭の「Sans」の最後の「s」には活字が足りなかったのかローマン体があてがわれている。最後の「e」はカウンターが潰れている、等々。132頁
和文中のアラン・フルニエ(Alain Fournier, 1886-1914)の小説名、大文字。141頁
上とは別の書体Century Schoolbook(1919)で組まれた本文末尾の詩『仲間』。216頁
このようにベースラインが震えるようにがたがたで、傾きもばらばらに並ぶ、やせ細ってさえ見える文字たち。決して美しいとは言えない。気のせいかと思って、何冊かフランス語の活版印刷された本と比べてみたら、気のせいではなかった。しかしそれさえ愛おしく感じられる。