文字は風を運ぶ:書風という概念

府川充男氏は文字を語るに際して当たり前のように「書風」という言葉を使う。古風だなあ、と最初は違和感があったが、書体、書体と語ってきたなかで、実は私は書体と書風を混同していたことにはっきりと気づいた。

府川氏によれば、文字の「形」には三つの「指標」がある(『組版原論』16頁〜32頁)。人体に喩えるならば、骨格に相当するのが「字体」、肉付けられたのが「書体」、そして衣装を纏った状態が「書風」である。実際には私たちは裸の書体ではなく、服を着た書風を通して文字を見ているので、一般には書風こみで書体、書体と言っている。

府川氏に倣って、字体(字形ということもある)、書体、書風の三指標を整理してみるとこうなる。

   字体 書体 書風
意味 文字の構造、骨組み 同じ字体の大きなスタイル上の区別 同じ書体の小さなスタイル上の区別
具体例 竜」(略字)と「龍」(旧字、正字)は字体が異なる 篆書・隷書・楷書・行書・草書・連綿・明朝体・ゴシック、ローマン体・サンセリフ体、オールドスタイル・モダンスタイル、ボールド・ミディアム・ライト、コンデンス・エクスパンド、等 同じ楷書でも王羲之顔真卿では書風が異なる、同じ明朝体でも築地体と秀英体では書風が異なる
備考 異体字(下図) 中国秦代:大篆(籀文)・小篆・刻符・蟲書・摹印・しゅ書・署書・隷書(『説文解字』)、中国新代:古文(壁中書)・奇字・篆書・左書・謬篆・鳥蟲書 活字書体の書風の豊かさに写植の文字盤やデジタル・フォントは遠く及ばない(30頁)


異体字(江戸時代から明治、昭和初期までよく遣われた文字)。読めない(^^;

このような文字の三層構造には、文字を扱う人間の側の三層構造が対応しているようだ。大雑把に言えば、字体上の違いは文字を作る物質的条件(何に刻印、表示されるか、等)を反映し、書体上の区別は時代や社会の状況や文化的特徴といった比較的客観的にとられらる大きな枠組みを反映し、書風の違いは個人的な感覚を反映する、と言った具合に。もちろんこれは厳密な区別ではなく、相互に若干乗り入れ合うのが実情である。

それにしても、書体と書風の概念上の区別、特に書風という概念を知っておくことは非常に大切であると感じた。それは文字というものがそもそも様々な具体的場面で人間の手によって書かれた、書、カリグラフィーであるという忘れがちな過去を現在に繋ぎ止めてくれる概念だからである。文字は書風を通してわれわれに届く。

どんな文字も始原の運筆の風、つまりは呼吸、無音の音楽(?)を運ぶ。(ねえ、Emmausさん[id:Emmaus、中山さんid:taknakayama

書体、書体といいながら、そんな文字の生命ともいうべき「風」を忘却しないためにも、「書風」という指標、概念を銘記しておきたい。

ちなみに、英語では「字体」は"form of a character"、「書体」は"type face"、そして「書風」は"style of calligraphy"である。