川端康成(1899年–1972年)が33歳の時に発表した『抒情歌』(1932年)は、恋人に振り捨てられた女が、彼の死後に、彼に不可能な愛をかたりかけるという香しくも毒々しい物語である。その冒頭と末尾からの引用。
死人にものいいかけるとは、なんという悲しい人間の習わしでありましょう。
けれども、人間は死後の世界にまで、生前の人間の姿で生きていなければならないということは、もっと悲しい人間の習わしと、私には思われてなりません。
植物の運命と人間の運命との似通いを感ずることが、すべての抒情詩の久遠の題目である。−−そう言った哲学者の名前さえ忘れ、そのあとさきへつづく文句も知らず、この言葉だけを覚えているのでありますから、植物とはただの開花落葉というだけの心なのか、もっと深い心がこめられているのか、私には分かりませんけれども、仏法のいろいろな経文をたぐいなくありがたい抒情詩と思います今日この頃の私は、こうして死人のあなたにものいいかけるにしても、あの世でもやはりこの世のあなたのお姿をしていらっしゃるあなたに向かってよりも、私の目の前の早咲きの蕾を持つ紅梅に、あなたが生まれかわっていらっしゃるというおとぎばなしをこしらえ、その床の間の紅梅に向かっての方が、どんなにうれしいかしれません。なにも目の前の名の知れたはなでなくともよろしいのです。フランスのような遠い国の、名知らぬ山の、見知らぬ花に、あたなが生まれかわっていらっしゃると思って、その花にものいいかけるにしてもおなじなのです。それほどまでに今もやはり私はあなたを愛しております。
こう言って、ふとほんとうに遠くの国を眺める思いをいたしてみますと、なんにも見えずに、この部屋の香(におい)がいたします。
この香は死んでいるわ。
そうつぶやいて私は笑い出してしまいました。
私は香水をつかったことのない娘でありました。
覚えていらっしゃいますか。もう四年前のある夜、風呂のなかで突然はげしい香におそわれた私は、その香水の名は知らぬながらも、真裸でこのような強い香をかぐのは、たいへん恥ずかしいことだと思ううちに、目がくらんで気が遠くなったのでありました。それはちょうど、あなたが私を振り捨て、私に黙って結婚なされ、新婚旅行のはじめての夜のホテルの白い寝床に、花嫁の香水をお撒きになったのと、同じ時なのでありました。私はあなたが結婚なさるとは知りませんでしたけれども、後から思い合わせてみますと、それは全く同じ時刻でありました。
あなたは新床(にいどこ)に香水を撒きながら、ふと私にお詫びをなすったのでしょうか。
この花嫁が私であったらと、ふとお思いになったのでありましょうか。
西洋の香水というものは強い現世の香がいたします。
(中略)
けれども今日この頃の私は、霊の国からあなたの愛のあかしを聞きましたり、冥土や来世であなたの恋人となりますより、あなたも私もが紅梅か夾竹桃の花となりまして、花粉をはこぶ胡蝶に結婚させてもらうことが、遥かに美しいと思われます。
そういたしますれば、悲しい人間の習わしにならって、こんな風に死人にものいいかけることもありますまいに。
ちなみに、紅梅の甘酸っぱい香のエッセンスは香水として商品化されているが、夾竹桃(Oleander, Nerium indicum, 花言葉は用心、危険、油断しない)のバニラのような甘い香は青酸カリよりも毒性が強いオレアンドリンというアルカロイド成分のために商品化されていない。昔々、アレキサンダーの軍隊が、肉を焼くために夾竹桃の木の枝を串に使って大勢命を落としたと伝えられる。