柴田秀一郎さんの写真集『バス停留所』には北海道から沖縄まで181ヶ所のバス停留所の写真が収められている。そのどれもが猛烈に愛おしく感じられる。柴田さんご本人は、撤去された瞬間に跡形もなく消えるバス停留所の散り際の美しさに強く惹かれたという。つまり、
バス停は「はかない」と思う。
そんなバス停留所たちの写真を見て、かつて写真には「分別」と「狂気」の二つの道があると語ったロラン・バルトの『明るい部屋』を読み直した。
…写真はいわば、穏やかな、つつましい、分裂した幻覚である。一方においては、《それはそこにはない》が、しかし他方においては、《それは確かにそこにあった》。写真は現実を擦り写しにした狂気の映像なのである。…写真と狂気と、それに名前がよくわからないある何ものかとのあいだには、ある種のつながりがある、ということを私は理解したと思った。私はその何ものかをとりあえず愛の苦悩と呼んでみた。…その何ものかは、恋愛感情よりももっと豊かな感情のうねりだった。写真によって呼び覚まされる愛のうちには、「憐れみ」という奇妙に古くさい名前をもった、もう一つの調べが聞き取れた。私は最後にもう一度、私を《突き刺した》いくつかの映像、…を思い浮かべてみた。それらの映像のどれをとっても、まちがいなく私は、そこに写っているものの非現実性を飛び越え、狂ったようにその情景、その映像のなかへ入っていって、すでに死んでしまったもの、まさに死なんとしているものを胸に抱きしめたのだ。ちょうどニーチェが、1889年1月3日、虐待されている馬を見て、「憐れみ」のために気が狂い、泣きながら馬の首に抱きついたのと同じように。
ちなみに、『明るい部屋』はサルトルの『想像力の問題』に捧げられたのだった。
ブレッソンが撮った48歳の時のロラン・バルト(パリ、1963年)、ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集
ブレッソンが撮った41歳の時のジャン=ポール・サルトルとフェルナン・ブイヨン(ポン・デザール、パリ、1946年)、ポートレイト 内なる静寂―アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集