終わりのない問いのなかに生きる


在日一世

 在日一世とは、朝鮮半島に生まれ、日本の朝鮮統治化(日韓併合)により、戦前・戦中に徴用、徴兵、強制連行、そして自主的に、または苦学のために渡日した韓国・朝鮮人で、いまなお日本で暮らしている人のことをいう。


 この一世と出会う旅を終え、そこで僕は何を想ったのだろうと考えている。
 幼いころ、祖父が亡くなり、僕は二十七歳のとき、祖母も亡くなった。
 当時の僕は一世の存在を、それほど深く考えてもみなかった。
 しかし四十歳を過ぎたころから、自分がいったい何者なのか、それを胸のなかで知りたがっているような感じがした。
「僕は誰だろう」「どこから来たのだろう」「どこへ行くのだろう」「どこへたどり着くのだろう」と。
 僕はまさしく在日三世。
朝鮮人は日本人の二倍も三倍も働らかなあかん。向こうが寝てるときでもがんばらな。それで初めてやっと一緒の土俵に上がれる。一緒の土俵に上がっても、日本人と一緒の力やったら落とされるから。しゃあからみんながんばりや」
 この言葉が祖父母と父がいつも言っていた口ぐせだった。
 祖父母に会いたい。亡き父に会いたい。
 そうだ! 一世たちと会い、何かを伝えなければいけない。そう思い、祖父母、父に会う感覚で、日本全国で生きる一世を訪ねる旅が始まった。

  李朋彦(イプンオン)『在日一世』、「あとがき」から


2005年に出版された本書には、関東15人、中国9人、近畿14人、北海道・東北17人、四国6人、東海7人、九州11人、北陸・甲信越13人、計92人の在日一世の方々のポートレイトと詳しい聞き書きが収められている。一世と出会う旅を通して、李朋彦(イプンオン)さんは「在日(三世)」である「自分がいったい何者なのか」という問いを少しずつ具体的に深めていった。しかしそれは同時に唯一の何者かであらねばならぬという一種の強迫観念から解放されてゆく過程でもあったように思われる。



たぶん僕はいま、母国の土を踏んでいる。

 日本の敗戦から六十五年が経過したいま、在日の歴史も転換期にあるのかもしれない。一世である祖父母も二世の父母も、みんな息絶えてしまった。彼らにとって、母国とは、日本とはなんだったのだろう。
 四世の息子たちには日本人の友人が多く、彼らには在日に対する偏見がないように見える。しかし彼らの世代が歴史を知っているかといえば、そうでもないらしい。在日であれ日本人であれ、子供たちが無知なままに大人になっていくのは恐ろしいことだ。
 五十余年生きてきたが、年を重ねるにつれて僕の中で様々なことが揺らぎはじめている。帰化に対する考え方も以前とは少し変わった。僕が逝ったあと、残された息子たちは差別のない社会で平穏に暮らしてほしいからだ。
 子供の幸せを望まない親はいない。
(中略)
 十九歳から母国の土を踏み、己が何者なのかを探し続けてきた。だが旅を終えたいま、僕は途方に暮れている。結局のところそれは探し出せるものではなく、ただ感じるものなのかもしれない。

  李朋彦(イプンオン)『たぶん僕はいま、母国の土を踏んでいる。』、「あとがき」から


『在日一世』から5年後の2010年に出版された本書では、祖父母の代からの家族の歴史が記憶の底を丁寧にさらうようにして綴られると同時に、実際に母国の土を踏み、祖父母の故郷を探し訪ね、母国分断の現実に触れ、産みの母と一期一会の再会を果たしてもなお、ますます揺らいでゆく在日としてのアイデンティティが正直に語られている。「途方に暮れている」と表現される揺れ動く複雑な状態に対して、「ただ感じる」と表現される懐の深い構えで向き合いつづけることこそが、李朋彦(イプンオン)さんの「旅」の成果であり、そのことは表題の「たぶん」にも表されていると思う。