情報化社会の黙示録

 おのずから変わっていく以上に世界をかえることはできない、という。いくたびこのことばをなぞったろう。おのずから変わっていく以上に世界をかえることはできないはずなのに、世界はしきりに自走し、しきりに暴走しつづけている。制止はもうできない。

  辺見庸「おとしめあう世界」(室蘭民報2011年3月5日)から


そうだろうか。おのずから変わっていくことによって世界をかえることができるかもしれないことこそが一縷の希望なのではないか。無責任な群れのなかで情報の隠蔽や錯綜を嘆いても始まらない。私は情報の隠蔽や錯綜からも有意な情報を読みとって自ら決断し行動に移さなければ、下手をすると無責任な体制のなかで無駄死にしかねない世界にいる。待ち人(未来)はいつまで待っても決して来ない。自ら迎えにいくしかない。辺見庸には己の他に守るべき大切なものはあるのだろうか?