舌の時間、光りしずまる


昨日、カミさんの実家で地方紙「室蘭民報」日曜版(2009年11月15日)に目を通していて、あるコラムが目にとまった。一瞬、目を疑った。辺見庸の「コケを見にいく/光りしずまるもの」と題したエッセイが載っていた。その後半にこんな風に発音表記された言葉が引用されている。

いかいかがやくのではなく、いかいいうまる。いはいをそとへまきちあすのであなく、いかいをないぶへういこもうといていうようです。

何を言っているのか分からないでしょう。実は、これは辺見庸が五年半前に脳の病いに倒れ、歩けないどころか、ろくに話せなかったときに、付き添いの人にさりげなく渡され促されて、発声練習したときの文庫本、武田泰淳の『ひかりごけ』の一節を、そのときの発音のままに表記したものである。サ行とハ行とラ行の発音が舌がまわらなかったという。たしかに、ふだんぼくらはほとんど意識しないが、舌を激しく使う発音である。原文はこうである。

光りかがやくのではなく、光りしずまる。光を外へ撒き散らすのではなく、光を内部へ吸いこもうとしているようです。

辺見庸は当時の自分の状態を振り返ってこう語る。

 病室には私の排泄物のにおいがこもっていた。口の右端からいつもよだれがでていた。右眼にだけ涙がたまった。遠くからわざわざ見舞いにきてくれた友だちのだれとも会わずに、私は『ひかりごけ』をもぐもぐと朗読しつづけた。たとえようもなくつらい日々なのに、かつて味わったことのない感動とやすらぎがあった。「光りしずまる」というのがどういう光か、だんだん眼の奥に見えてくる気がした。

「いかい」が「ひかり」になるまでの、舌が光=言葉を得るまでの、永い時間を想う。


病いに倒れてから五年半後、辺見庸は友だちに誘われて埼玉県の吉見百穴にヒカリゴケを見に行った。エッセイはそこから始まる。古墳時代末期の横穴墓の暗がりの中に実際にヒカリゴケの儚げな光を見たとき、強い既視感をおぼえ、記憶を手繰り寄せるうちに、意味深長な武田泰淳の『ひかりごけ』の発声練習が思い出されたわけである。そしてもうひとつ、生徒を引率してきた教員らしい男の説明の声を背中に聞き、そもそもヒカリゴケはおのずからは発光しないといつか学んだことをすっかり忘れていたことにも気づき、そこから万象に通じるひとつのヴィジョンに到達する。

みずから光り暗むものは人も植物も天象もごくすくないのにもかかわらず、そうおもってしまうのはなぜだろう。万象はすべてかかわりである。善も悪も単独で可能なものはなにもない。ヒカリゴケは原糸体のレンズ状細胞が外からのかすかな光をかえしているのであり、わずかでも他の光をえたときに、はじめてみずからを発現する。照りかえす、といったらおおげさだ。この蘚類は他の光をうけて、そそとしのびやかに語りかえすのである。他の光は爆発的であってはならない。じきに枯死してしまうから、なるべく微光がよい。ヒカリゴケは衒わぬひとすじの微光をえたときに、やっとおのれも微光となって身じろぐ。

エッセイの最後はこう結ばれる。

「これはね、一科一属一種のユニークな植物なんだ。原始的だけどそこが貴重なんだね」。先生がひそひそ声でいっている。「しーっ、しずかに。しずかにしないと、光が見えなくなるよ…」

敢えて明言されなかったことを、野暮を承知で明言すれば、人間ひとりひとりもヒカリゴケみたいな存在で、「光りしずまる」ような光を発現している。でも、それは「しずか」にしないと見えない光である。