底なしの夢のほとりに咲く花


紅の汀


辻征夫の「キリンナツバナ」によって、國井克彦の詩に導かれた。國井克彦。1938年台北基隆市に生まれる。

詩の神というものがあるなら

十五の少年の狂気は「神」が見ている

その夢も死も「神」は見透かしていた
見えているものを見ることはついぞなく
狂おしい東の崖のかなたに
朝の鳥のさえずり
の中の雲の紅を見ている(「さまよう少年の夢」12頁)


老人は生涯見てもいない紅の汀を夢見て生きた

灰色の雲の果てに自分の塒(ねぐら)が見えた

夢の中で私は老人で
一千光年の光を浴び
見たこともない人の世の昔の
どこかのあかるい畦道のなかに立っていた
掴めない絵の中の色彩(「紅の汀」17頁)


…或る日その丘がとつぜん真ッ赤な夕日に照らされると、かつてはるかな島で私の体をつつんだなつかしい風が私を包んだ。…或る日の夢もわすれて何十年も生きてきたが、生きてきた時間もまたいまでは夢のような気がする。その夢も生きた現実もいまではあまり違いがないような気がする。(「夢の夕日」32頁)


私の家の裏に住んでいたひとたちよ
あのうらがなしいなつかしいメロディーが
私のなかに五十年も生きていたのです
それはいつも生きていた
いつもいつも美しい雲にめぐりあいたいと思い
そう思うことで生きてゆく
勇気と希望の伴奏
その生のための色彩
戦闘もなく天国であったと父が語った海南島
地獄の沖縄
神は不公平のようだ
「ちんだらかぬしゃまよ」とうたっていたひとたちも
どこへ消えたか
父も母もこの世から消えた
いつか私が消えても
そのメロディーだけは生きつづけるのでしょう(「沖縄の歌」40頁)


 星の光と暗い小川。台北昭和十九年早春の夜は激化する空襲を前に静まりかえっていた。海南島に派遣される父を一家で見送るために台北から高雄まで汽車に乗る。記憶の汽車は夜の闇を走った。…思慮と関係なく戦争に翻弄された親たちは大変であったろう。五歳・六歳の私もまた星の光と暗い小川に翻弄されていた。(「星の光と暗い小川」42頁)


…そしてほんとうはほんとうにつくるべき詩のような世界を探すための私の旅のはじまりであったのだ。何かをつくらなければならない。何かが私を呼んでいた。(「漫画少年」54頁)


すべては「要らない」。これが父の戦後哲学ではなかったのか。(「父の詩集」59頁)


この世のあらゆるものがありがたい。とくに遠い記憶のぐしゃぐしゃとした混濁の世界がありがたい。そのおかげで生きてゆく力が湧いてくる。閻魔大王が勇気を与えてくれる。はるかなるわが家の玄関にたわむれる蛇がなつかしく笑いかける。雨の基隆港の大きな蟹が、雨の音が、その灰色が、私を泣かせにくる。生きよと語りかける。(「母よ」72頁)


西武新宿駅の雑踏の中で「がんばってくださいよ」と言う詩人の言葉は私にだけ発せられたのである。私もすでに五十歳となっていたが、若者のような力が体のどこかから湧いて来る思いであった。いまではそれが天の声であるかのようにさえ思うのである。…会田綱雄の肉体はないがその魂と詩は永遠である。そんな表現力しか私にはないのであろうか。(「堀ノ内の枝豆」78頁)


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