あたたかい灰、河鹿笛

年齢や老いにこだわり続けたといわれる詩人、天野忠(1909–1993)に興味が湧いて、『天野忠詩集』(現代詩文庫、1986年、asin:4783707847)を読んでいた。「私有地」と題された詩にグイッと引き込まれた。明るくて残酷な童話のような味わいのある詩だった。そのなかの「あたたかい灰」という言葉にどこか救われる思いがした。

五十五歳で
父は
卒中で倒れた。
額に大きな瘤をもっくりとつけて
いきなり死んだ。
水を打ったばかりの狭い庭石の上で。
河鹿笛が上手だった。


母は
長いこと寝たきりで
六十歳で死んだ。
畳のへりをさすりながら、熱い息をして
あのとき
私の方をしきりに見るふりをしたが
私は眼をそらせて
足をさすってばかりいて……


父の五十五歳も母の六十歳も
何の障りもなく
私はスーッと通り越してきたのだが。


いろいろなむかしが
私のうしろにねている。
あたたかい灰のようで
みんなおだやかなものだ。


むかしという言葉は
柔和だねえ
そして軽い……


いま私は七十歳、はだかで
天上を見上げている
自分の死んだ顔を想っている。


地面と水平にねている
地面と変わらぬ色をしている
むかしという表情にぴったりで


しずかに蠅もとんでいて……


 天野忠「私有地」


私の場合は母は三十八歳、父は七十四歳だった。父の最期の二週間は、私もまた眼をそらせて、足をさすってばかりいたことを思い出す。


ところで、詩中の「父」が上手だったという「河鹿笛」が気になった。調べてみたら、河鹿(かじか)は魚のカジカではなく、美しく澄んだ豊かな声で鳴く河鹿蛙であること、そして河鹿笛とは、河鹿を捕らえるときに呼寄せるために吹く笛、あるいは河鹿の鳴く声じたいを賞美してそう呼ぶのだということを初めて知った。カジカガエルはどんな声で鳴き、詩中の「父」が上手だったという河鹿笛はどんなだっただろう、と音の想像がひろがった。


YouTubeに河鹿蛙の鳴き声を収録したビデオをみつけた。たしかにカラフルな玉を転がすような、そしておそらくは詩中の七十歳の「私」が見上げていた「天上」に流れている音楽のように美しい鳴き声に聞き入った。詩中の「父」が上手だったという河鹿笛はそれを見事に模倣するものだったに違いない。