北のなかの南へ


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 仰ぎ見ていた人物や大切にしていた愛の対象の没年が、自分よりもうはるか下方にあると気づいたときの、なんともいえないもどかしさと困惑、こちらの加齢によっていやおうなく年下になった元年上の才能と向きあおうとすると、私たちはたいてい、これまで生きてきた経験を積み重ねてようやく成り立つ「いま」をぶつける代わりに、はるかに未熟だったころの自分を横にならべてしまう。感情移入するのでも、同一化するのでもない。近づきえなかったはずの対象がすぐ隣に立っていることじたいに、なんだか落ち着きをなくすのだ。まして最初から年下の人間に、つまりずっとまえに消えてなくなった存在に相対せば、彼らが抱えていた「過去における現在」と生々しく同期し、こちらもその悩みを共有して口をつぐむほかなくなる。
 自己の検証はつねにきびしく辛いものだから、通常は、時間をかけてゆっくり考えるという言い訳をして、適当に逃げてしまうことが多い。しかし、ほんとうに口をつぐんだままでいいのだろうか? 菊池伶司という、二十二歳で亡くなった銅版画家の仕事に触れたとき、より正確には、その遺作、遺品のすべてをたどったとき、気持ちの波立ち方にいつもとちがう振幅があった。うまく整理できない感情を断層撮影されたような、あるいは、心の膜の一角を注射針で刺激するのではなく切除され、そこから体液がじんわりとにじみ出てくるのを我慢しているような感覚。
 分野を問わず、芸術の世界にならいくらでもころがっている夭折神話のひとつとして彼の仕事を扱うことは可能だろうけれど、夭折を云々するなら、彼ら彼女らの才能を享受する側の宿命についても言及する必要がある。制作者たちがこの世から消えた場合、残された仕事は無傷のままでも、作者の生物学的な年齢は残酷なまでの速度で逆行し、受け手をあっというまに年上に追いやるのだ。追いやられた側は、それらの作品に対してだけでなく、自身が置かれている状況に対しても、ときに言葉を費やさなければならない。


 堀江敏幸「北へ、あるいは、たどり着けないイマージュへ」


芸術家ではなかったが、母の没年が、自分よりずっとはるか下方にあると気づいたときの困惑を思い出していた。そのうち父や祖父母の没年が、こちらの加齢によっていやおうなく年下になるときのことを想像するとたしかに落ち着かなくなるが、「記憶の彼方へ」と題して、彼らが抱えていた「過去における現在」とだとだとしく対話しはじめていた自分がいたことに気づかされてもいた。



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    みちに まよったら、 あの ほしを ごらん。
    うごかない きたの ほしを まんなかにして、 
    五つの Wがたの ほしと  ひしゃくがたの 七つぼしとが、
    とけいの はりと あべこべに まわっている。(「ひばりはそらに」)


 反時計回りにまわることで、不可視の地軸の果てにある錨星は、時間を遡り、誰も知らない空間を超える。「地軸すら指星を変える」(「白秋論」)悠久のなかで静止したまま飛ぶ候鳥たちは、吉田一穂の「随想」と「詩」を、あるいは「童話」を、ばらばらに砕くことなく、垂直と水平を統合する幻の抛物線にむかって、動的に連れ去って行くだろう。


 堀江敏幸「詩胚を運ぶ鳥−−−吉田一穂をめぐる断章」


小島剛一さんと北海道という北の島を反時計回りにまわる旅をしながら、時間を遡り、誰も知らない空間を超えていたのかもしれないと気づかされた。