白い芭蕉布をガウンのように纏った裸足の老婆が、裾は風になびかせるにまかせたまま、手に握ったシオバナ(潮花)を左右に振り、水滴を飛ばしながら、島の道を行く。きれいに梳(くしけず)った白髪が肩から背中にかけて垂れている。束ねていないその髪がシオバナを振るリズムに合わせて左右に揺れる。
今から三十年あまり前に稲垣尚友さんが平島(たいらじま)で目撃した神話的光景である。芭蕉布はバナナの葉に似た芭蕉の葉の繊維を紡いだ糸で織られた布で、略式の神装束。シオバナとは、手折った笹枝に海水(潮)をつけたもので、ネーシ(巫女)には欠かせない小道具。平島では集落は海岸から百メートル余の段丘の上に拓かれているため、シオバナを作るには絶壁の道を上り下りしなければならない。すでに現役のネーシ(巫女)を退いたはずの年老いたオオババ(大小母)は、日照り続きによる旱魃を憂慮し、シオバナで道を浄めながら、水枯れした島の水源地へ水祈祷に向かうところだった。見えない糸にたぐり寄せられるようにして稲垣さんはオオババの後を追う。しかしその途中で島人にこう諭されたという。「神さまに付いていくもんじゃなかろう」
こんな魅力的な話からはじまる「倭の島のモノ語り」をウェブ上で読むことができる。当時の島の暮らしぶりやもの作りの様子が島言葉を織りまぜて生き生きと再現されている。ランボーやアジェの足跡を追った著作でも知られる写真家の大島洋さんによる写真も掲載されている。
1942年生まれの稲垣尚友さんは、1973年に琉球弧の北に位置するトカラ列島の平島(たいらじま)に移住した。無人島になる直前の臥蛇島(がじゃじま)にもしばらく住んだ。臥蛇島の挿話は「ピーピーどんぶり」に綴られている。1977年に島を出てからは、熊本県人吉盆地で竹細工の修行に励んだ。その後、茨城県笠間で独立し、1986年から現在にいたるまで千葉県鴨川市で竹大工兼作家として暮らしている。2009年からは「南島学」研究の拠点としてトカラ塾を主宰している。南島に関する民俗学研究書や南島を舞台にした小説など著作は数多い。最新刊は『灘渡る古層の響き――平島放送速記録を読む』(みずのわ出版、2011年、asin:4864260087)。
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