ヤマの写真家、山口勲さんの訃報に接した。夕焼けを残して沈んでゆく太陽に永遠に置き去りにされるような寂しさを感じている。追いつけない。
山口勲写真集『ボタ山のあるぼくに町』に載っている姜信子さんの愛情溢れる文章が見事に伝えてくれた山口さんの人柄にほだされて、私もいつの間にか心の中ではヤマグチさんではなく、イサオちゃんと呼んでいた。
イサオちゃんは昭和十二年生まれ。自分の父親ほどの男の人をつかまえてイサオちゃんはないだろうと思いつつも、また、実際、ご本人の前では私も礼儀正しく、イサオちゃんではなく、一応ヤマグチさんと呼んでいるのだけれども、でも、一目見たら体がグニャグニャしてしまいそうな、心ひそかに企んでいた悪事もなんだか面倒になってやめたくなるような、あのニンマリカッと春の陽射しのように穏やかに光る笑顔を前にすると、ああ、やっぱり、ヤマグチさんより、イサオちゃんよねぇ、と思うのです。
何を尋ねられても、そうですなぁ、うーん、それはですなぁ、と必死の顔で目をギョロギョロさせて、たとえ勘違いでも嘘が混じっちゃいけないと誠心誠意の言葉を探す、その姿を見るにつけても、しみじみほのぼの温かい気分に包まれて、そう、やっぱり、イサオちゃんと呼びたくなる。姜信子「イサオちゃんの話」から
この写真集に感激して、身の程もわきまえずに書いたつたない文章のコピーが、姜信子さんと上野朱さんの手を経て、イサオちゃんの手に渡り、それを読んだイサオちゃんの感謝の声をふたたび姜信子さんが伝えてくれたのは、去年の冬だった。九州と北海道はずいぶん離れているけれど、イサオちゃんの笑顔と涙と人懐っこい声に直に触れた思いがしたのを忘れない。あれから二年たらず、、。会いたかった。
『ボタ山のあるぼくの町』はイサオちゃんの魂のふるさと(の記録)みたいなものだから、この写真集があるかぎり、イサオちゃんにはいつでも会える、「あのニンマリカッと春の陽射しのように穏やかに光る笑顔」も拝めるのだと思えてきた。