涙の泉:本橋成一写真集『アレクセイと泉』


アレクセイと泉


ものを見る目をいつも涙が薄らと覆っている。私は薄い涙のヴェールを通して世界を見ていることを忘れがちだ。あの日、実はそれまでに乾き切ってしまっていた私の目には、涙が身体の内部、奥深くのどこかから洪水のように溢れ出たはずだったが、それもまた乾き切ってしまいそうだ。


1986年4月26日に原子力発電所4号炉で事故が起きたチェルノブイリから約150km離れたベラルーシ南東部、ロシアとの国境近くのブジシチェ村を本橋成一さんが初めて訪ねたのは1995年の春だった。村は場所によっては4号炉の5キロゾーンと変わらない放射能測定値を示したが、村の中心にある「100年の泉」と村人たちが呼ぶ泉の水からは何度測定しても放射能は検出されなかったという。その時以来、本橋成一さんはベラルーシに行くたびに、その泉の水を飲んだ。そのうちその泉を撮影したいという思いが募り、最初の映画『ナージャの村』(1998年、asin:B0000ABAP9)のロケ時に何回か撮影した。そして、二作目の映画『アレクセイと泉』(2002年、asin:B0000ABAP7)のロケ時、2000年の夏に、この映画と同名の写真集の撮影を本格的に始めた。致し方ないこととはいえ、だんだん泉で出会う村人は少なくなっていき、特に若い人は見かけなくなっていった。

村の人口は10分の1になり、ソホーズ(組合農場)も閉鎖され、廃屋ばかりが目立つようになってしまっていた。しかし、泉だけは変わることなく、こんこんと水が湧き続けていた。ある年寄りが村に残る理由を話してくれた。いのちとともに借りた泉の水を、この地に還したいからだと。55人の村人と一人の青年(彼の名がアレクセイ)の住む村。いのちとともに水を還せる大地があるこの村人をぼくはうらやましく思った。(「あとがき」より)


この写真集を見ながら、涙腺が身体の泉だとすれば、泉は大地という身体の涙腺だと言えるかもしれないと思っていた。本来は涙腺と書くべきところを敢えて「涙泉」と書きたくなるほどに、涙の溜まった目で見る豊かに潤った世界がそこにはたくさん写っている。


関連エントリー