水と血と、空と男と、


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水と血とあなたはどちらにより深くぶれますか? 空と男と、あなたはどちらにより強くふるえますか? ヤマの、あなた。

森崎和江「浮游霊と祖霊」(1971)、『精神史の旅 2地熱』所収、314頁


森崎和江さんに導かれて、「くらやみのなかでみずから光源となるほかになかった坑夫たち」*1の生活や、「地下の光源となった人の、地上へのほろびることのないやさしさ」*2に思いを馳せ、「この世の地獄は、地獄にいる者自身が、人間回復への火をもやしつづけること以外に、全く、何ひとつ、すくいとなるもののない場である」*3ことを噛みしめた。イサオちゃんこと山口勲さんの写真と文章でも薄々かんじていた「地下労働者の固有な精神世界」が自分の立っている地平の下に拓けていくような気がした。そしてそれは辺見庸が語った「闇」よりも暗い、ある女坑夫さんが語ったという「まっくらくら、夜よりか、くらいばい。坑内で狸が化かすばい。あたしが昼入って掘って、夜また入って掘りよったたい。坑内でも昼と夜とは、闇の色がちがうばい。おんなじまっくらくらでも、夜は一段と、まっくら」*4であるような生き地獄と言っていい本当の暗闇であるにもかかわらず、なぜか、海や空へとどこかで通じる闇だった。そして、さらに、その理由を探る森崎和江さんの旅は、『古事記』や『日本書紀』や『風土記』の記録の向こう側に広がる、日本語が封印してきた、折口信夫が透視していたような、恐るべき原初の「生成」や「変成」の光景を垣間見るものだった*5

 私は炭坑労働精神史と副題をそえた『奈落の神々』を書き終えると、海辺をさまよい、とうとう宗像に居を移した。古代から朝鮮半島とかかわりが深かった玄界灘の海岸が、松原を沿岸に伸ばしている。この海辺を庄ノ浦の海女の旅を辿って、津軽まで行きたい。それは鐘崎の海女の暮らしを辿ることとも重複している。鐘崎の人びとは手漕ぎの舟で日本海を往来し、能登半島の輪島に分村を作った歴史をもっていたから。

森崎和江「ノンフィクションとしての民話」(1982)、『精神史の旅 5回帰』(藤原書店、2009年)所収、256頁


森崎和江さんの南から北上する旅は津軽にまで及ぶ。北から津軽を経てさらに南下しようとしてきた私の旅と交差する。


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*1:「石炭がわしを呼ぶ」(1974)、『精神史の旅 2地熱』所収、282頁

*2:同書、282頁

*3:同書、292頁

*4:「ノンフィクションとしての民話」(1982)、『精神史の旅 5回帰』所収、239頁

*5:「鮭神信仰」(1975)、『精神史の旅 2地熱』所収、335頁