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半世紀余り前に道東の中標津(なかしべつ)町駅前の松屋カメラ堂で現像されたネガを見ていた。私が調べたかぎりでは松屋カメラ堂は今はもう存在しない。ネガには、焼かれた(プリントされた)ものを見た覚えがある三輪車に股がった一歳の頃の<私>のほかに、十字架のある建物と三人の子どもの陰画が写っていた。意外だった。気になって部分的にプリントしてみたが、全く見覚えがない。
生前の父と浅からぬ関係があった人たちのはずだが、私は実際に会ったことはない、少なくとも記憶にはない、しかもこれからも会うことはないだろう、そんな人たちが写っている写真を飽かずに眺める。まるで見えない糸をあれこれ手繰り寄せようとしているかのようだ。自分は過去に向かっているのか、それとも未来に向かっているのか、よく分からなくなる。見えるものが見えない思いがけないことを告げてくれるのを待つように見る時間は嫌いではない。
私が一歳、昭和三十三年頃に父は中標津カトリック教会付属の幼稚園を訪ね、私の知らない三人の子どもに会っている。園児らしい二人と年長の少年である。当時父が仕事の関係で中標津町に滞在したことは考えられるが、なぜ中標津カトリック幼稚園を訪ねたのか。幼稚園の門の横でかしこまって撮影に応じている三人は一体誰なのか、兄弟なのか。なぜ子どもだけなのか。なぜ年長の少年だけが半袖の下着なのか。なぜ三輪の菊の花が写っているのか。なぜ、、。次々に生じる疑問は宙に浮いたままで、確かめる術はもうほとんどない。しかし何度も見ているうちに、三輪の菊の花が咲く辺りに、なんとなく女の人の影が浮かんで来るような気がした。
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