昨日まで、英語のOdysseusはギリシャ系の語彙で、Ulyssesはラテン系の語彙だと私は思い込んでいた。英語のUlyssesはラテン語のUlissesの直系である。しかし、ラテン語のUlissesの素性はラテン系ではなくあくまでギリシャ系なのだということに気づかなかったのである。今夕、ストラスブール在住の言語学者小島剛一さんからの指摘によって目から鱗が落ちた。ラテン語のUlyssesはギリシャ語名Οδυσσεύςの方言形Ολυσσεύςから来たものだったのである。つまり、ギリシャ語名における「δ」と「λ」の一文字の差異が、ラテン語名ではOdysseusとUlissesの差異にまで広がり、その一見した差異の大きさの故に、よく調べる前に、Odysseusはギリシャ系の語彙、Ulissesはラテン系の語彙だと思い込んでしまっていたのである。しかし、Ulissesも歴としたギリシャ系の語彙なのだった。したがって、英語のUlyssesだけでなく、フランス語のUlysse、イタリア語のUlisse、スペイン語のUlisesなどもラテン系の語彙ではなく、ギリシャ系の語彙であるというわけだった。
この話題の発端は、そもそもアンゲロプロス監督の映画の邦題『ユリシーズの瞳』の「ユリシーズ」に対する違和感だった。なぜ「オデュッセウス」ではなく「ユリシーズ」が使われているのか。実は今朝、仕事で一緒になったイングランドのリンカーン出身のGさんと話していて、アンゲロプロス監督の映画の英題Ulysses' Gazeについて、Odysseusではなく、Ulyssesが使われている理由を聞いてみたら、よく分からないと言いながらも、「ジョイスの『ユリシーズ』(Ulysses, 1922)の影響があるんじゃないかな」と言った。そう言えば、日本で『ユリシーズの瞳』が公開された頃は、ジョイスの『ユリシーズ』の新訳が話題になった頃だったかな、と思い出しつつあったのだが、どんな影響なのかというところまでは話は及ばなかった。そして帰宅後、小島剛一さんからのメールを読んでモヤモヤとした霧が晴れたというわけだった。しかもそのメールの最後はなんと次のような一節で結ばれていた。
開国後の日本人が系譜の末端の英語からではなく、本家本元のギリシャ語から「オデュッセウス」「オデュッセイア」と転写したのは見識でした。「アングロ・サクソンの下位文化」に成り下がらないで済んだのです。先人の心意気を無にしてはいけません。「ジョイスの『ユリシーズ』」は、ジェイムズ・ジョイスがオデュッセイアのパロディとして著わした作品を指す固有名詞としてだけ使いましょう。
小島剛一、2012年2月3日
なるほど、アンゲロプロス監督の映画の邦題『ユリシーズの瞳』に対する私の違和感は、「アングロ・サクソンの下位文化」に成り下がっているところにこそあったのだ。ジョイスのUlyssesの邦題が『ユリシーズ』であるのとは訳が違う。