午後茶、胡蝶の夢の手前で


土産にもらった凍頂烏龍を味わいながら、高橋睦郎『百人一句』(asin:4121014553)を繙く。十八世紀に生きた千代尼の春の句が目にとまる。

蝶々や何を夢見て羽づかい


この句について高橋睦郎は次のように説明している。

蝶の羽づかいを叙しただけの句だが、「何を夢見て」に豪奢な情感がある。あるいは当時としては常識の範囲だったろう『荘子』斉物論篇第二の「荘周夢為胡蝶」の故事を踏まえての千代尼じしんのいささかナルシスティックな感情移入の表現かもしれない。(99頁)


しかし、もし千代尼が荘子のいわゆる「胡蝶の夢」の説話を踏まえていたとしたら、自分は荘周のように蝶になった夢を見ることもなく、この現実は蝶が見る夢なのかもしれないなどという空想に耽ることもなく、そんな夢話の手前で、ただ、蝶の羽づかいを凝視している、「ナルシスティック」とは言えない千代尼の冷静さが伝わってくるような気がする。


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