ジョナス・メカスによる365日映画、9月、250日目。
Day 250: Jonas Mekas
Friday, September 7th, 2007
6 min. 02 sec.
while in Hamburg,
Benn visits Peter
Sempel and sends
me this video
postcard ---
以下、先ずベンのビデオを脚本風にまとめてみる。
手書きのテロップが入る:「ジョナスへ/ハンブルクからの手紙」
大きな樹を見上げながら、歩く。木漏れ日が眩しい。柔らかい地面を踏む足音が聞こえる。視線を落とした先に、黒いワンピースを着た女性の後ろ姿。
「ヨハニス通り(Bei St. Johannis)」の標識を見上げる。
左斜め後方からベンチに座る男を撮る。足許に鳩が一羽。鳩は彼の左膝に飛び乗る。男は右手にサンドイッチを持っている。左手で優しく鳩を除けようとするが、一旦は飛び降りるも、またすぐ彼の膝の上に戻る。彼は遊びはこれで終りにしようといいたげな仕草で、サンドイッチのひとつまみを鳩に与えるが、……。
手書きのテロップが入る:「ペーター・ゼンペルを彼のスタジオに訪ねる」
ゼンペルが壁に掛けられたメカスの写っている写真やポスターの説明をする。「これはアル・パチーノと一緒のところ、これはアレン・ギンズバーグ、ジョナスもここに写っている」
ゼンペルは屋上に行こうと言って階段を上がる。最上階からは鉄製の梯子を登って屋上に出る。ちょっと苦労して屋上に出たベンは感嘆の声を上げる。外灯に照らされて暗闇に浮かび上がるハンブルクの大きな通りが見渡せる。「あれが、グロス・フライハイトだ。意味は分かる?ビッグ・フリーダムだよ。皆それを夢見ている。さあ、ベンはハンブルクにいる。」ゼンペルがカメラを持って上機嫌のベンを撮る。「僕はここだ。うぉー、ジョナス。どうも。僕らは屋上にいるよ。」
ベンの左手が木製のテーブルの上に置かれた赤ワインの入ったグラスを持ち上げる。そのグラスの向こうにポロシャツを着てサングラスをかけたゼンペルが映る。彼も赤ワインの入ったグラスを持ち上げ、「サリュート、カンパイ、ジョナス」と言いながら、こちらのグラスに結構強く当てる。「ニューヨークにいる私の古い映画の友。こんな軽装で済まないね。今安いピザ屋にいる。ジョナスに何を話そうか。そうだ。フラメンコ映画は完成したよ。ベンに見せたよ。ジプシーの魂がファンタスティックだと言ってくれた。……。あらゆる町、あらゆる場所、大小、老若、熟練者と初心者。とても野性的なコラージュになった。汚いもの、美しいもの、清潔なもの、稽古、出産、悲鳴、夢、風。すべてが映画のなかにあるんだ。フラメンコは単純すぎるタイトルかもしれないが、リアルなんだ。……。幸運を、ジョナス。カンパイ」
モーツァルトのシンフォニーが聴こえ始める。(これにはなぜか違和感、「やりすぎ」感を感じた。)
走行中の車から街路樹と薄曇りの空を見上げる。
助手席では黒いワンピースを着た女性が膝を抱えて窓の外を見ている。
以上、ベン・ノースオーバーによる若々しいビデオ・レターである。ちなみに、BGMとして使われているモーツァルトのシンフォニーは25番第1楽章。YouTubeにカール・ベーム指揮ベルリン・フィルの映像がある。
Mozart Symphony no. 25 k. 183(I. Allegro con brio, Wiener Philharmoniker - Karl Bohm)
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ペーター・ゼンペルは3月7日にメカスの口から名前だけ登場した。そのときに、メカスはベンにゼンペルに会うといいと勧めていたのだった。その後4月17日のフィルムではメカスと「無」をめぐる議論を交わす「学者のようだ」とメカスに揶揄されるゼンペルを見た。今日のフィルムと同じように、その時も彼は日本語「カンパイ」を使っていた。
3月7日に書いたように、「ペーター・ゼンペル(Peter Sempel, 1954-)はハンブルグ生まれの映像作家、写真家で、ニック・ケイブ(Nick Cave, 1957-)やニナ・ハーゲン(Nina Hagen, 1955-)などのミュージック・ビデオ製作で有名だが、これだけの人たちの映画や写真を撮影している。その中には詩人の吉増剛造さんも含まれているが、現在リンクは切れている。また、百歳を超えた舞踏家大野一雄さんのドキュメンタリー映画『Just visiting this Planet (この惑星に立ち寄る)』(1991)や『Kazuo Ohno: I Dance Into the Light 』(2004)の監督としても知られる。」
久しぶりにゼンペルの公式サイトを見ると、今日のビデオ・レターの中でゼンペルが熱く語る映画『フラメンコ、我が人生』(Flamenco Mi Vida, 2007)のことが書かれていた。
2004年10月から2007年5月まで二年半に及ぶ撮影を終え、6月に完成したばかりの映画だ。「梗概Synopsis」にあるように、ゼンペルはこの映画を「音楽映画」と位置づけ、その手法を"cinema-direct"-styleによる「個人的なコラージュ作品」と説明している。"cinema-direct"-styleの"direct"とは、おそらく「直接話法」的な映画制作様式のことだろうと推察する。「ドキュメンタリー」との違いは、おそらく、フラメンコを生業とするジプシー一族とのより直接的で深い関係における人生の記録であるという点にあるような気がする。つまり、撮影することが共に生きることであったような人生の記録としての映画。