関口涼子「舌の下でゆっくりと溶けていく言葉」


古書店「書肆吉成」の店主である吉成秀夫さんが『アフンルパル通信第7号』(2009年3月10日発行)を私の不在中に研究室に届けてくれた。扉の下のわずかの隙間から部屋の中にそっと滑り込ませて。

この最新号に関口涼子さんの「舌の下でゆっくりと溶けていく言葉」が掲載されている。それは「誤訳」にまつわる二つの体験に基づく斬新な翻訳論のエッセンスとでもいうべき内容である。実はその二つの体験のうちの一つが、一昨年に私が指摘したこと(「舌の下に」)に関わるということもあって、吉成秀夫さんは多忙の中わざわざ届けてくれたのだった。

関口さんはこう書いている。

 翻訳者は、様々な間違いをする。誤訳の種類、誤訳としてしまう理由は様々だが、私はした多くの間違いの中でも、とりわけ後まで残り、翻訳とは何かを考える種になった誤訳があった。アフガン作家、アティーク・ラヒーミーの『灰と土』を和訳したときのことだ。小説の最後に、私がこのように訳した部分が出てくる。
「きみは足を緩め、立ち止まる。身をかがめる。指先で、灰色の土をひとつまみ取り、舌の上にのせる。きみはまた道をゆく……。後ろに組んだ手はリンゴの花模様の風呂敷を握りしめている。」
 後にこの本を読まれた三上勝生さんが、英訳と比較して誤訳の存在を教えてくれた。「舌の上にのせる」ではなく、「舌の下に置く」だったのだ(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20070907))。以下、三上さんの指摘を引用する。「作者ラヒーミーは、主人公の老人ダスタギールに、その灰色の土を文字通り『舌の下に』置かせたのではないかと思った。「舌の下に置く」のは、ニトログリセリンや特殊な錠剤などを口のなかでゆっくりと溶かす必要のある場合である。この最後の場面では、舌、tongueは言葉を乗せたり、食べ物を乗せる器官のひとつであることを止めて、息子に会えなかったダスタギールの「心とおなじくらい大きな悲しみ」をゆっくりゆっくり「溶かす」ための器官になったのだと。」
 まさにその通りで、ここで「上」か「下」なのかで、彼が口に含む土、土地との関係の持つ意味は全く変わってしまう。テキストに対して許されざる誤訳だった。(6頁)

関口さんは、翻訳にさいして、話の大筋、物語展開のようないわば<意味のハイウェイ>から外れた<路地>のような場所に息づく人間のほんの些細な身振りや仕種の表現への注視を怠らないことを自らに厳しく戒めていた。「見慣れたものに出会うために、私たちは文学を読んでいるのではない」(7頁)と銘記し、最後はこう結ばれている。

 テキストが与える、それまで知らなかった感触に敏感になり、自分がしたことのない身振り、唇にのせたことのない音を真似ること。それをずっと忘れないでいることが、翻訳、という行為なのではないか。ぎこちなく様々な身振りを真似ながら、そのことを忘れないように、忘れないように、と時々呪文のようにつぶやいている。(7頁)

彼女の真摯さと懐の深さに打たれた。

Earth And Ashes

Earth And Ashes

二年前に呑気な一読者の私は、たまたま手にした英訳で、邦訳の「舌の上」に相当する箇所が ”under your tongue” (「舌の下」)であることに気づいて、想像を膨らませながら一つの解釈を書いたに過ぎなかった。翻訳家としての関口さんは、すぐにそれを「誤訳」だったと己を厳しく戒める内容のメールをくれたが、私は必ずしもそれは誤訳とは言えないという内容の返事を送った。

「翻訳」は何重もの敷居を越えていって、また戻ってくるような大変な作業、ある意味では創作でもあると思いますし、「舌の上」は単純な間違いとは言えないと思います。(「関口さんへのメール」2007年12月1日より)

関口さんが即座に「誤訳」と認めたものの「誤り」とは、単純な誤りではまったくなく、そもそも誤りではないという主張さえ成り立つだろうと私は当初から考えていた。反対に、それを「誤り」と主張することは、それをめぐって一冊の翻訳論ないしは異文化論を書くことにさえつながるだろうとも考えていた。関口さん自身はあくまでそれを「誤訳」と認める立場をその後も崩さずに、翻訳と異文化理解に関する真摯で深い見通しが籠められた今回の「舌の下でゆっくりと溶けていく言葉」を発表したわけだった。あっぱれだと思った。信頼できると思った。それは二年前のブログとメールを介したやり取りに対する、関口さんからの思いがけない久しぶりの挨拶のようでもあった。「やっぱり、誤訳です。なぜなら……。」というメッセージの。


「アフガンのおじさんたちの笑顔」© Ryoko Sekiguchi

ところで、パリ在住の新進気鋭の詩人と言った方が通りがいいかもしれない関口さんとは三年前に奄美大島で初めて出会った。そのとき交わした「幽霊語」をめぐる会話(「幽霊って何語を話すんでしょうね:奄美自由大学体験記16」)や地元のおっちゃんたちを交えて酌み交わした焼酎の味を懐かしく思い出す。そしてその後新年の挨拶に添えてくれた「アフガンのおじさんたちの笑顔」の写真は、彼女が女だてらにとんでもない旅の達人でもあることを私に強く印象づけたのだった。戦禍にまみれたアフガンの市井の人々の間を歩き、たまたま出会った路地で商売するオヤジたちからこんな自然な笑顔を引き出した彼女が私たち日本の読者に届けてくれた現代アフガン文学の秀作『灰と土』の価値ははかり知れないと思う。

灰と土

灰と土


『灰と土』関連エントリー