論理への感受性

受講生の皆さん、今晩は。
今日の授業では、
1)前回までの授業内容を簡単に振り返り、メインの資料(04論理への感受性)に書かれている内容について説明しました。専門的な論理学の位置づけに関しては、一般教養レベルでは哲学の中の一分野と見ても間違いではありませんが、実際にはもっと複雑です。哲学の足場をなすものだという見方もできますし、数学の基礎に関わるとする見方もあります。さらにコンピュータの論理回路プログラミング言語に応用されている部分もあります。詳しくは専門的論理学の概要説明の際に、まとめてお話しする予定です。

2)『クレオール主義』の「あとがき」を素材にして、指示語、接続語をマーキングしながら、論理的読解法について解説しました。意味内容の不明な箇所はチエックだけ(仮留め)しておいて、まずは主張の流れを押さえることが大切です。今福さんの文体の基本的特徴は接続語を省略し、指示語を多用することによって、主張の流れの抵抗を少なくして加速するところにあります。指示語は文字通り「指示」しながらも、後につなげる「接続」の働きをもつことを再確認しておいてください。さらに指示語は同じ表現の重複、反復を避けることによって、主張の流れの速度を加速し、場合によっては、指示される内容が膨らんでも行くという点が見逃せません。

3)今日配布したデカルトの『省察』の冒頭部分の抜粋資料を素材にして、指示語、接続語、そして量化表現をマーキングしながら、論理的読解法について説明しました。指示語以上に、接続語が多用され、主張のつながり具合が分かりやすくなっていることに気がついたと思います。その分、流れの速度は落ち、じっくり読むのに適した文体になっています。これが古典的な哲学的文体のひとつの典型です。また、原文のラテン語、フランス語では、日本語では省略されがちな接続語が省略されないため、原文に忠実な日本語訳はいかにも「固い」印象がありますが、それは誤解の余地のないように主張の流れの方向を接続語によってきっちり固定しているからです。なお、量化表現の論理に関しては、改めて説明する予定です。

4)約束していた「世界」、「事実」、「可能性」の相互関係について、黒板に図を描きながら解説するつもりでしたが、今日もできませんでした。次回必ずやりますが、ここに概略だけ書いておきます。

先ず、私たちは「事実」に取り囲まれています。すべての事実から成る全体を「世界」と見なします。事実とは現に「成り立っている事柄」です。他方、現に成り立ってはいないが、「成り立つ可能性がある事柄」を考えることができます。ウィトゲンシュタインはこれを「事態」と呼びました。事実は事態の一部分ということになります。ここで、すべての事態から成る全体をウィトゲンシュタインは「論理空間」と呼びました。論理空間とは可能性の集まりです。世界とは現実性の集まりです。現実の世界は可能な論理空間の一部です。(ここまで、どうでしょうか。イメージがつかめましたか?やはり図解したほうが分かりやすいよね。)一応もう少しだけ。次に、そのような論理空間を形作るのは言語であると言えます。なぜなら、事実を含めたすべての成立しうる事態は言葉でしか表現できないからです。したがって、言葉で表現しうることの全体が論理空間であると言い換えることができます。そして、言葉で表現しうることの限界、可能性の限界、論理空間の限界はどのように定まるのか、と話は続きます。