前略。
様々な接続表現、指示表現の裏ではたらく6つの基本的な接続関係(解説・根拠・例示・付加・転換・補足)を強く意識しながら、読み(聞き)、そして書く(話す)ということを心がけるトレーニングも、そろそろ第二段階に近づきつつあります。
最終的には自分で議論を組み立てられるように、言い換えれば、自分で論理的な文章を書けるようになることを目標に、一方では、たえず議論の全体、その流れを俯瞰しつつ、またもう一方では、「それ」を個々の文がどう支えているかというそれぞれの役割を見極めるように努めてください。(ところで、「それ」が指示する内容は何か、一応、口に出してみて下さい。)
さて、論理的な文章を書くための練習でも、とにかく、接続関係がひと目で見てとれるように、できるかぎり明確な接続表現を使うことを心がけて下さい。例えば、私たちはよく「……が」という便利で融通の利くつなぎ方を使います。しかし、それはできるだけ避けて、より明確な接続表現に置き換えることを心がけて下さい。というのは、この場合、便利で融通がきくということは実は曖昧だということにほかならないからです。書き手も読み手も、なんとなく分かったような気になる世界からはしばらくオサラバしましょう。
「なんか、窮屈なトレーニングだなあ。接続表現なんか気にしなくても、読んで分かりゃいいじゃないか」という反感を抱く人も少なくないかもしれませんが、実はここが「論理力」を培うためのいわば急所、勝負所なんです。もう少し堪(こら)えましょうね。野矢茂樹さんはこう書いてます。
なるほど、読んで分からない文章というのは論外だが、しかし、ただ分かればよいというものではない。言いたいことを明確に、より強い力をもって、可能なかぎり読み手に負担をかけずに、伝えねばならない。
(『新版 論理トレーニング』44頁)
力強い主張ですね^^ そう、私たちが「論理力」を養う必要があるのは、無闇に「読み手に負担をかけ」ないためでもあるわけなんです。環境に余計な負荷をかけないように行動、活動するエコの発想と共通するところがありますね。実際に、接続関係がよく意識され、それにふさわしい接続表現や指示表現が明確に使われた文章は、はじめてそれを読む人にとっても非常に分かりやすい、つまりよく伝わるものになるわけです。その意味では、「論理」とは、言葉によるコミュニケーションにおけるエコロジーだといっても過言ではないと思います。この点に関して、野矢茂樹さんは次のようにも書いています。
山道を熟知している人がはじめてその山を登る人のために道標(みちしるべ)をたてる。議論を書くことにおけるそんな道標が、議論の方向を明示してくれる接続表現にほかならない。
(同書、45頁)
そういうわけで、私たちは、後から登ってくる人(読み手)が道に迷わないように、道標(接続表現)を立てながら、書くトレーニングに入ることにしましょう。