NTTドコモが運営するモバイル社会研究所が発行する季刊誌『Mobile Society Review 未来心理』が全国から投稿論文を募集する「査読誌」になるという。
主な査読者として橋本秀紀氏と宮台真司氏が抜擢されているが、社会学者の宮台氏が寄せた抱負を語る文章が目に留った。
科学技術の発達は、一次的現実の設計化(アーキテクチャによる無意識的誘導)と二次的現実の精細化(メタヴァース)が進むことで、「人間」のみならず「世界」をも揺るがしている。しかるに今日、人文知や科学知はともに、科学技術が、社会を支える自明性を液状化させている事実に鈍感である。こうした隘路を避けて、自明性の地平をどこに見出す 「べき」なのか、という「今日的課題」に鋭く切り込む―そうした論文をお待ちしたい。
(http://www.moba-ken.jp/theme/msr/msr_post01)
圧縮された難解な物言いだが、ブログに引き寄せて考えても、「アーキテクチャによる無意識的誘導」と「メタヴァース」の進行によって、明らかに従来の生き方に揺らぎが生じているとは思う。
「メタヴァース」という懐かしい言葉で、二年前にSecond Lifeについて書いたエントリーを思い出した。
「メタヴァース(Metaverse)」とは、SF作家のニール・スティーヴンスン(Neal Stephenson)が自著『スノウ・クラッシュ』(Snow Crash, 1992)の中で使用したメタ(meta)とユニバース(universe)の合成語である。
「サイバースペース」や「バーチャルリアリティ」に比べて、「メタヴァース」という概念はアーキテクチャーによって私たちが仮想させられる世界が急速に現実性を帯びるようになった時代を強く反映していると言えるだろう。
宮台氏が的確に強調して述べるように、自明性の地平をどこに見出す 「べき」なのか、という「今日的課題」は、私個人の「べき」を超えた社会の「べき」の問題として開かれている。