映画、夢、オープンソース

溝口健二監督『赤線地帯』(1956)を久しぶりに観てびっくりした。初めて凄い映画を観たときのように驚いた。以前、俺は一体何を観たんだろう、と思った。まるで近未来SF映画のテイストじゃないかと思った。その強烈な印象に戸惑った。近い過去、売春防止法(1958)が施行される前夜を背景に、とある売春宿を舞台に繰り広げられる人間模様が描かれているという紋切り型のイメージがしっかりと頭の中にあったはずなのに、その「過去」がまるで「未来」のように感じられた。これは、「近過去SF映画」という私だけのジャンルをこっそり作る必要があるな、とまで一瞬考えてしまった。欧米のインテリが溝口や小津の映画に惚れ込む理由のひとつはこの感覚に違いないとおっちょこちょいの私は書いてしまう。それなのに、もったいないことに、一時間もすると、眠気が襲ってきて、私は寝てしまった。
(『赤線地帯』を観たのは、一昨日深夜NHKBS2。今年は溝口健二監督没後50年をむかえ、NHKBS2では特集が組まれている。)

『赤線地帯』を観たせいか、途中までしか観なかったせいか、夢を見た、久しぶりにその記憶が鮮明に残ってしまっている。見た夢の記憶は脳の中でどんなふうに保存されているのだろうか。茂木さんに尋ねてみたい。それは生(なま)の体験の記憶とどう違うのだろうか。あるいは区別できないのか。
こんな夢の記憶である。

私はN県のS大学の校内にいる。非常識なほど長い、長過ぎる渡り廊下を、向こう、これから講義をする予定になっている教室がある棟に向かって、スタンフォードで知り合った人たちと一緒に歩いている。「遠いね」なんて言いながら。私たちは、私が講義をする予定の教室に多くの学生たちに紛れて(確かにそんな感覚で)席に着いている。教壇には中年の髭をたくわえた教授がゲシュタルト心理学っぽい話をして黒板に絵を描き始めた。すると、なんとその絵がぐにゃぐにゃと動き始めたではないか。びっくりした私は眼を凝らして黒板を見た。その教授は動く絵を指差しながら、何か理論っぽいことを語った。この絵はなぜ動くのか、動くように見えるのか、説明できる人は?と教授はこちらの方に質問を向けた。私が手を上げて、その質問に答え始めている。答えた内容は記憶にない。最後に「〜と理解することができるのではないでしょうか」と回りくどく締めくくったことだけが記憶にある。私の答えを聞いているうちに教授の様子がおかしくなりはじめた。そわそわしだし、私が答え終わると、何か意味不明のことを、しどろもどろになりながら、話している。私はひどく喉が渇いて教室の外の廊下にいる。知り合いの娘がS大学の新入生としてそれらしいファッションで傍にいる。自販機が目に入る。カネは持っていない。その娘になぜか三百円貸してくれ、と言っている。真新しい高級そうなハンドバッグから、真新しい高級そうな財布を取り出した彼女は口を開けて、小銭はないからと言って、千円札を一枚私に手渡した。財布には一万円札が十枚以上は入っているのが、ちらっと見えた。私は千円札を右手に自販機に向かった。千円札を投入口に挿入している映像と、次の時間帯に私は自分の講義を控えているのに、まったく準備ができていなくて、かなり焦っている心理が入り混じった記憶がある。歴史の話をしなければならないと思っている。沢山の話題を二、三の深いテーマに落とし込もうとしているが、もう時間がない。焦りはピークを迎えるが、急に、話しだせばなんとかなる、という気持ちに落ち着く。

この内容を現実と結びつけるように解釈することにはあまり興味はない。むしろ、映画『赤線地帯』を観たことがこのような夢をみる引き金になったような気がすることに興味がある。映画経験と夢見の経験の記憶構造に共通性があって、それが「引き金」になるのではないか。面白そうだ。すでにそんな研究はいっぱいあるような気もするが。

ところで、梅田さんのブログにアップされた昨日の東京赤坂での対談の録音を聞いた。
「昨夜の対談イベントの音声、YouTube映像」http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060901
すごく面白かった。特に、梅田さんが、そしてゲストの吉岡弘隆さん(ミラクル・リナックス)が、オープンソースは謎だ、よく分からない、はてなという会社、近藤社長は変だ、よく分からない、という愛情の籠った「?」を率直に語っていたところに深く共感し、かつ、信頼性と可能性を感じた。「オープン」であることは、「変化」しつづけることだから、頭と体ごとそのプロセスの一部と化すか化さないか、が問われている。だから、古い意識と言葉でそのプロセスの「核」を十分に捉えることはできなくて、例えば、近藤さんやKotoriKoTorikoさんの日記が「示し」ていることをプラスに感じられるかどうか、が決定的な分かれ目だと思う。
jkondoの日記」http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20060901/1157115198
「アラこれは便利だ!」http://d.hatena.ne.jp/KotoriKoToriko/20060902/p2
それにしても、彼らの日記は、若いものはさておき、中年のオッサンでもが、よっしゃ、俺もひとつ、パールを、山下清を、あるいはそれらに相当する何かを研究してみるか、と動かすポジティブな力を秘めていると私は感じる。すでに日本中で5人くらいの中年のオッサンがパールの解説書を買いに本屋に走ったのではないか。お前はどうなんだって?私は本棚に眠っていた5年くらい前に買って読み始めたけどすぐ挫折したパールの解説書を引っ張りだしました。