昭和63年の謎の預金通帳

妻が「あなた、これ知ってる?」と言って、僕の目の前に差し出したのは、今はなき北海道拓殖銀行普通預金口座の通帳だった。しかも昭和63年8月に10万円がシンキ(新規)で入金されたという記載しかない。その口座用のキャッシュカードは見あたらない。んんん?100.000円?記憶にないなぁ。彼女も僕もどんなに当時の記憶をたぐっても、この通帳に関することは何も思い出すことはできなかった。謎の預金通帳。そのかわり、すっかり忘れていた当時のことがいろいろと思い出されて面白かった。昭和63年。1988年。昭和最後の年。僕はその頃昼間はまだ大学院生をやり、夜間は学習塾でバイトをしていた。すでに結婚していて、最初に授かった子がそのとき3歳、そしてその年の10月には二人目が生まれる予定だった。奨学金とバイトで稼いだ金で生計を立てていた。当時住んでいたアパート近くの地下鉄駅そばにも億ションが建設されたりして、世の中はバブル景気に浮かれていた。でもそんな景気とは全く無縁な経済的にもぎりぎりの前途不明な生活の中で、初めて経験する子育てにかなり戸惑っていた。でもどこかで楽しんでもいた。DNAとか生命とか成長とか学習とかについて生々しく考えていたような気がする。細切れの時間の中で、無理して買ったシャープの書院というワープロ(懐かしい)で論文を書いていた。まだインターネットはもちろんないし、パソコンだって普及していなかった。情報収集は図書館頼りで、大学図書館に行っては、欧米の専門誌のバックナンバーを借り出して、面白そうな論文をかたっぱしから読むしかなかった。複写機はもちろんすでにあって、生協なんかに設置されてたけど、カネがないから、よほど重要なものしか、コピーはできなかった。あれから18年。子供たちは精神的にはすっかり自立し、僕ら夫婦も普通に加齢し、世の中は随分大きく変わったように見える一方で、自分にとって大切なことは何も変ってないな、と思った。進歩してないだけかもしれない。
謎の預金通帳をもって、拓銀を引き継いだ北洋銀行へ微かな期待の心を抱いて行った。結果は推して知るべし。1000円未満の残高で10年以上にわたってお金の出し入れがなく、口座は消滅とのこと。