21世紀の思想を語るなら

梅田望夫著『ウェブ進化論』には「21世紀の思想」といってもいいヴィジョンが背景として苦渋の色彩で描かれている。なぜ、「苦渋の色彩」なのか?それはGoogleの「凄さ」につきまとう「怖さ」のせいである。Googleの「凄さ」は『ウェブ進化論』の中で立証されている。Googleの「怖さ」については、状況証拠しか語られていない。Googleの「怖さ」の正体は未だ不明である。

Googleの「怖さ」の正体とはその一見ポジティブな徹底的なテクノロジー主義が秘めている見えない力にあるような気がする。人々の動きをそうとは気づかれない、知られにないままにコントロールすることになる未曾有の複合的情報技術が持つ人間にとっては無意識の力。それは結果的に、人間に対する抑圧的でネガティヴな力として働きかねない可能性=危険性を私は動物本能的に一種の「怖さ」として感知したのかも知れない。核技術のような物質技術の危険性は見やすいが、情報技術の本当の危険性はなかなか見えない。それは単に旧来の社会体制や社会意識を部分的に脅かすレベルの危険性ではなく、人間性そのものに対する危険性である。

梅田さんはグーグルの「情報発電所」の意味を巡って、今起りつつあるのは、情報技術革命ではなく、情報そのものの革命的変化だと語った。情報そのものとは人間性そのもののことではないか、と私は直観=誤解して、その革命は下手をするとヤバいかも、と感じた。グーグルの怖さの正体を明らかにするには、人間性そのもののある種の変化の危険性、ヤバさをきちんと説明できなければならない。それは「全体知」喪失云々レベルの自己批評性を全く欠いた緩い思想談義ではとうてい触れることさえできないハードな問題である。

私の見るところ、『ウェブ進化論』で梅田さんはそんな危険かもしれないグーグル的思想の一人勝ち状態というアンバランスを是正してくれるようなポジティブな思想を描くために、敵陣深く入り込み、その正体を見極めようとした。本当の敵を見極める、敵の核心をつかむには、敵の懐深く入り込まなければならないから。『ウェブ進化論』とはそんな危険な任務から満身創痍で帰還したソルジャーの生々しい貴重な報告書にも思える。

そして、梅田さんは、人は何故、何のために動くのか、という深い哲学的な問いかけにまで遡った場所で、グーグルもその恩恵を蒙っているオープンソース的活動に垣間みられる未曾有のスケールの共同性の実現可能性というビジョンを自ら流した血で素描してくれた。それは決してバラ色の未来像なんかではない。でも、おそらく、そこにしか「(人類の)未来」はなく、だからこそ、それは正しく「21世紀の思想」の姿でもあると思う。そして、はてなの近藤さんが独自の戦略で切り結ぼうとしているラインもそこに繋がっているように感じる。