記憶の彼方へ11:私の知らないカップル


どんな写真も世界の局所のある瞬間の記録であり、いずれはその被写体の遺影となる運命にある。すべての写真は本質的に遺影である。昭和32年(1957)、私はこのカップルの間に生まれた。当然のことながら、私はこの頃の父母を直接には知らない。思えば、不思議なことだ。私は私の始まりも終わりも知ることはできない。それにしても、当時の彼らは、近い将来生まれるかもしれない子が“こんな人生”を歩み、半世紀後に“こんなこと”をするとは夢にも思わなかっただろう。「この、罰当たりめ!」「まあ、まあ」