自画像に挑戦する

今日は授業の最後に300人超の学生たちに挑戦してもらった自画像と自己批評文に目を通すのに今までかかってしまいました。面白い。私なんかより、よほど、しっかりと自己認識できている学生が多かった。己の欠点、醜さを直視した彼らの文章は素晴らしかった。学生たちに挑戦してもらう以上、私が率先して見本を示さなければならないと思い、私は私が数分で描いた自画像をOHPで大きく映写し、数分で書いた自己批評文を大声で読み上げた。教室に笑いがこぼれた。

ところで、肝心の講義の出来映えはどうだったかというと、それが……。
うわーっ、撃沈寸前!大失敗!肝心の初回の講義は野球にたとえるなら9回裏でなんとか同点に追いついたものの、かなり不本意な展開に終止してしまいました。
「情報デザイン」の根源をつかんだつもりで、余裕をもって臨んだ講義。その余裕が仇(あだ)となってしまった。350人はいる階段式大教室はほぼ満席だった。春学期の「情報文化論」に出ていた顔があちらこちらに見える。頼みもしないのに、アシスタント的仕事をテキパキこなしてくれたX君もまた最前列に陣取っている。人数の割には、決して騒がしくもなく、いい感じの声のカクテルが教室を満たしていた。「こんにちは。」と努めて明るい声を向けると、「コンニチワ!」と元気な声が四方から返ってきた。いいじゃない。
私は抱えてきた紙資料と白紙の答案用紙を配付し、ノートパソコンをセッティングしてから、マイクを使わずに、地声を張り上げて、しゃべり始めた。まず、教室とウェブ(三上のブログと三上研究室)が連動していることを説明し、後者を活用することを勧めた。そこまでは良かった。しかし、なぜか魔が差した……。

ダイレクトに「根源」の話に入ればよかったものを、情報デザインに関する標準的な知識を伝えるために、「1情報デザインの原理」と銘打った話題から入ってしまった。順序を間違った。そもそも用意してあったメイン資料のコンテンツの配列の詰めがじつは甘かったことに後で気づいた。一般論から入ってしまった。学生たちの表情がにわかに曇り始めた。「難しい」という彼らの声なき声が聞こえた。これはまずいと思い、なるべく身近な具体例を補足して、話しがなるべく抽象的にならないようにハンドルを切ったが、インパクトに欠けたのは明白だった。学生の視線がつぎつぎと下に落ちて行く、彼らの「気」が遠ざかっていくのを私は感じていた。「2情報デザインの実例その1」に入っても海面すれすれの飛行が続いた。喉が痛くなってきた。残り30分くらいのところで、ようやく「根源」の話題に入った。「3情報デザインの哲学その1」でギアを思い切り切り替えた。少し浮上した。そして、最後の「4情報デザインのための基礎レッスンその1」、「自画像レッスン」と「自己批評文レッスン」に入り、やっと学生たちの「気」が戻って来た。ホッと一息ついたものの、後悔の念は強かった。
講義内容の柱は4つだった。

1情報デザインの原理(情報アーキテクチャー、情報の組織化、ユーザビリティ、他)
2情報デザインの実例その1(ウェブの場合、他)
3情報デザインの哲学(究極のデザイン)
4情報デザインの基礎レッスンその1(自画像と自己批評文)

失敗を素直に認めよう。主要な反省点は3つ。

内容的に欲張りすぎた。変な勢いが自分を押した、脳がやや暴走気味だったような気がする。
話の展開の順番を間違えた。準備段階での最後の「詰め」が甘かった。
300人規模ではやはりマイクを使うべきだった。なぜなら、声を張り上げると機転と発想の力がかなり落ちるから。

ところで、講義中に不思議な出来事があった。開始後30分くらいたったころ、「情報アーキテクチャーっていう見方があってね、」などと話しながら、学生たちの様子を見渡していたら、教室後ろの出入口から、スーツ姿の年配の男性がにこやかな表情で中を窺っているのが目に入った。どうも、中に入って来ようとしているように見えた。一瞬、完全に意識はその人の方に向かい、「どうしましたか?」と声を掛けた。その人は、いえ、べつに、というような仕草で、一端外に消えた。私は授業に戻った。しかし、しばらくして、学生たちに混じって最後列の席にその方が座っているのに気づいた。え?社会人の履修生はいないはずだが……。まあ、いいか。私はしゃべりつづけた。そのうち、その方は周りの学生たちをきょろきょろみていたかと思うと、すーっと外に消えた。誰だったのだろう?私は学生たちの「気」を話の内容に惹き付け続けることにほとんどすべての意識を集中していたので、そのときはそれ以上は考えなかった。今にして思えば、もしかしたら、このブログをご覧になって、関心をもたれて、いらしてくださった方だったのかもしれない!まず、ありえないけど。