顔のない父上の遺体の写真

荒木経維さんの講演会@札幌大学に行ってる間に、美崎さんから貴重なコメントをいただいた。しかも、9月9日のエントリーへのコメントには「トピックスに目を留めてコメント中です。」という”恐ろしい”言葉も記されていた。こんな嬉しいことはない。

(公演開始15分前の700人収容できる大講堂。私も何度かここで講義をした。この後、講堂はほぼ満席になった。定員500人を超える600人超の方が来場されたことを後で知った。私はカメラを携帯して行った。でも荒木さんの公演中の姿を撮影する気にはどうしてもなれなかった。)

ところで、講演会の荒木さんは素晴らしかった、ステキだった。でも、荒木さんはどこにいってもステキなはずだ。歩く偶有性、事件性みたいな人だから。むしろ気になったのは荒木さんを迎える側の意図が、場合によっては、大きなハテナを生むことがあるということだった。

1960年代初頭から現在2006年にいたる40年以上にわたる荒木さんの人生の記録。何枚くらいあっただろう。最後の30分間に上映された最新作のアラキネマだけで、スライド時間が3秒として、ざっくり計算して、600枚。正味1時間半にわたってトーク中に映写された写真は、1800枚。そのうち数枚から数十枚の写真が一枚のスライドになっているものもかなりの割合であったから、かりにそれを平均10枚で全体の2割とすると、360枚。その合計約3000枚をスライドショーしながら、荒木さんは、ウィット、ユーモア、センチメント、そしてもちろん自己批評性に溢れるトークを休みなく続けた。数十秒おきに、会場に笑いの渦が広がる。荒木さんをご存知の方は想像がつくと思う。

結局、荒木さんご本人に接近する機会はなかった、というか、積極的に作ろうという気にはなれなかった。なぜか今日は出会うべき時ではない、と強く感じた。

荒木経維さんの写真人生の清濁併せ飲んだ過激さと大きさと優しさと丸みを、私は改めて感じた。しかし私が今日脚を運んだ理由は、もっとフォーカスを絞りこんだ問題に、荒木さんがどこかできっと触れるにちがいないと思っていたからだった。サービス精神旺盛で、エンターテイナーに徹すると見えて、ハッとするような言葉を荒木さんは必ず口にする。私はそれだけを聞き逃すまいと意識をそこに集中していた。だから、会場の笑いは遠く聞こえていた。

その言葉は、最初意外な言葉として、耳に飛び込んできた。それは、荒木さんが、フレームとアングルの本質を会得した経験を語ったときだった。父上の遺体を映したその写真には首から下しか映っていなかった。「元気な頃の顔を覚えていたかった、病で衰弱しきって死んだ時の顔は撮りたくなかった、嫌なものを撮らないためのものなんですよ、フレームってえのは。フレームを切るというのは、そういうことなんです。」でも私は荒木さんの言葉に、フレームを切ることによって、そこから敢えて外されたものこそが、写真家の心には忘れられない記憶として残るのだということを聴き取っていた。忘れてもいいものが、フレームの中に、写真として記録される?首から下の父上の遺体の写真は、見たくない父上の顔を想起するトリガーにもなり、想起された顔のイメージは元気なころの父上の顔のイメージにきっと重なるはずだ。

荒木さんによってフレームを切られた3000枚の写真のなかで、一番印象的だったのは、そして写真を見るということがどういう意味をもつのかを改めて考えさせられたのは、その「顔のない父上の遺体の写真」だった。それを見てしまった後は、私は私の亡き父の写真を今までのようには見ることができなくなってしまったような気がする。