未だ見ぬHASHI展への思い

ウィトゲンシュタインのいう「論理空間」。現実に成り立ちうるすべての可能性の空間。それは必然の相において世界を見る眼に映るであろう空間。そこには「偶然」はありえない。すべては必然。ただし、何がいつ起る、成立するかは、別問題だ。やはりそこに「時間」が関わってくる。起こりうることすべてのリストは空間的に「見通せる」。だが、リストのどれがいつ起るかは、起ってみるまでは分からない。予測不可能性とは時間に関わる概念だ。

おそらく、HASHIこと橋村奉臣さんの信条である"Timing"(中山さんに教えられました)は多くの人のそれぞれの人生の運行が奇蹟的に交わる瞬間だけでなく、そこに至るそれぞれの「時熟」をも含みもつ、おおらかなコンセプトであるように感じる。すなわち、タイミングが合わないこともまた前向きに受け入れるべきひとつのタイミングとして橋村さんは暖かく見守っておられるような気がする。それでなければ、……。"Life is Timing."とは言えても、 "Timing is Everything."(美崎さんに教えられました)とは言い切れないだろうと思う。「すべて(Everything)」をやせ衰えさせないためにも、橋村さんは、中山さんが批評なさっていたように、時が熟すような「物語=時の経過そのもの」をも尊重なさっている、そんな気がする。
(また、思わず、書いてしまいました。実際に見たら、体験したら、何も語れなくなるような気もします。こうして、断片的な情報から、言葉になることはできるだけ言葉にしておけば、「さらめいた」心で体験できるような気がして、こうしてしまうのかもしれません。それこそ、一瞬先に自分がやり始めることは予測できません、というか、予測できない状態に自分を置きたいという気持ちが強いのです。)

今週の講義「言語哲学入門」の準備のためにウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読み直していて、未だ見ぬ、体験せぬ、10日後に見る、体験する予定のHASHI(橋村奉臣)展『一瞬の永遠』&『未来の原風景』東京都写真美術館 2006.9.16~10.29)のことに思いが移っていった。

「さらめき」とは、以前引用した、沖縄の詩人、真久田正さんの詩集『真帆船のうむい』から学んだ古語で、「心地よい海風が吹く」状態のこと。