ブログ往復書簡じみるが、『横浜逍遥亭』の中山さんが、私の東京での不思議な体験の一つを異常に鋭い感覚と霊感で見通された驚くべき記事を書かれていたので、これは少し書かずにはいられないと思った。
2006/10/31 (火)「過去から来た一眼レフ」
三上さんが「中山さん、あのカメラ」と指を指した時、いや、たしかに今や珍しい昔ながらの光学式一眼レフではあったが、三上さんがそれを指摘した理由はブログを読むまではもちろん分からなかった。そんな理由があったんだと驚きつつ合点がいったが、しかし、何故あんな場所に三上さんのお父さんのお持ちだったものと同じ一眼レフがなければいけなかったのか。
僕は僕で実に非現実な気分がよぎったのを覚えている。過去のどこからかニコンがやってきたように感じたのだ。三上さんは「古いNikonのF3(?)」とお書きになっているが、僕には妙に新しいものに見えた。今どき、それも女性があんなカメラを持っているだろうか。美崎さんと会ったばかりの僕は、あらゆる過去が埋もれずに現在にとどまるという美崎さんの思念と実践の力にとっつかまってしまったような気がした。
実は私の父は若いときからカメラ好きで、特に晩年は狂ったように風景写真を撮り続けていたが、私はその写真がなぜか好きではなかった。それは写真そのもののせいなのか父の生き方に対する反発だったのかは定かではなかった。とにかく生前は父が写真に夢中になることも父が撮った写真も認めるどころか批判的でさえあった。死後、遺品のカメラや写真を整理しながら、私は後悔の念に囚われ始めた。そして父が遺した写真を見つづけているうちに、後悔の念は深まっていった。
HASHI展行きを後押しした要因には実は、HASHIさんに会うことは死んだ父のことや父の撮った写真をちゃんと理解することにつながる何かがあると感じていたことがあったような気がする。そしてHASHI展で私が写真を食い入るように見続けたのも、父の写真をちゃんと見て評価してあげられなかった後悔の念を、そうすることで、晴らそうとしていたからなのかもしれない。ともあれ、東京にいる間中、父の記憶が蘇っていたことは確かであり、父の遺品と同じ型のNikonが偶然目に飛びこんできたときには、本当にびっくりした。偶然とは思えなかった。「もう一度、ちゃんとHASHI展を見ろ」と父に言われたような気さえした。
そしてさらに実は、父の撮った写真の一枚を東京行きの道連れにして、チャンスがあればHASHIさんに見ていただこうかとさえ思ってもいた。しかし結局それは断念した。私は自分で落とし前をつけなければと思い直したからだ。
まさか、こんなことを書くことになろうとは思ってもみなかった。HASHI+MISAKI効果?