HASHIGRAPHYの謎:HASHI[橋村奉臣]展を訪れて9

私の手帳の記録では、『未来の原風景』のHASHIGRAPHY作品の元になった写真の大半は、1987年に撮影されたものである。四つの暗い部屋のようなブースを仮にA、B、C、Dと名付けると、C(15)、D(14)の写真はすべて1987年撮影のもの。A(15)では1989年が二点、1991年が四点の他九点が1987年。B(15)だけが1987年は四点と少なく、1989年は三点、1991年が三点、1992年が四点である。撮影場所でいうと、AとBはすべてパリ、Cは一点だけヴァチカンで残りはすべてローマ。Dではヴァチカンとローマが七点ずつ。

HASHIGRAPHYが施された年は、Aでは2004年が四点、残りの十一点は2006年(今年)。Bでは十二点が2004年、三点だけが2006年。Cでは十点が2004年、四点が2006年、そしてただ一点のみが2005年。Dでは十四点すべてが2004年である。

被写体では、最も古く印象的なものは紀元前4世紀の「真実の口」と「頭部のない女性像」である。Aでは現代のパリの景観を構成する橋、通り、路地裏、郵便ポスト、ルーブル美術館等に、エッフェル塔(18世紀)、ピエタ像(18世紀)、それに古代の像が三点。印象的なのは2世紀の「バッカス」。Bでは19世紀のロダンの彫像が五点、残りは現代のパリの景観の細部。Cでは古代が六点(その中のひとつが前4世紀の「真実の口」)、17世紀一点、18世紀一点、残りは現代のローマの景観の細部。Dでは古代が七点(その中のひとつが前4世紀の「頭部のない女性像」)、17世紀五点(「サンピエトロ広場」)、18世紀一点(「サンピエトロ大聖堂』)、残りの一点は現代の石膏。

私は2006年10月28日(土曜日)午後5時から6時までの間に『未来の原風景』の薄暗い四つの部屋でモールスキンの手帳にほぼ上記の内容の記録を取った。作品のタイトルもすべて書き取った。誤記は少なくないかもしれないが、そんな事は問題ではなかった。自分でもなぜそんなにまでして、まるで何かにとり憑かれたように記録しているのかよく分からなかった。しかし、そうすることでしか「見えて来ないもの」があるような気が確かにしていた。そして、それは見える人には見えるのだと思う。見える人とはHASHIさんただ一人である。私には結局「見えない」。ひねくれた言い方に聞こえるかもしれないが、「私には決して見えない」という事が「見えた」と言える。想像はいくらでもできる。連想できることも少なくない。しかし、それは写真には「写っていない」。

そして、私はあることに気付き始めていた。これはやはり一種の「鏡」だと。HASHIGRAPHY作品を「見る」という経験の意味は、その二重、三重の「時のヴェール」をくぐるようにして「向こう」を見ようとする経験の意味は、実は自分自身の「心の奥底」をそこに映し出すことである、と。それは「血を流す」ことを伴うだろうが、しかし、そうして初めて「本当の時間も滴り落ち」始めるのだ、と。

『未来の原風景』のモチーフは公式の言葉では「未来から見える現在の姿」ということになっているが、実際に「見た」私はそんな誰のために必要なイメージ、ビジョンなのかが不明なモチーフなどとうてい信じられなかった。仮に写真家の念頭にそういうモチーフがあったのだとしても、当の作品たちはそれを深く美しく裏切るような痛切な印象を私にもたらしたのだった。