ロンドンで優雅な夏休みを過ごしたらしい美崎薫さんからの手紙に応答する


今日は午後から雨だった。雨音を聴きながら、時々窓越しに降る雨を眺めて、お伽噺的な美崎薫論を書いていた。

これは主に学生さん向けのお伽噺です。

なお、ここに登場する美崎薫(みさきかおる)さんは13歳くらいでプライバシーの観念におさらばしたような「なんでもオーケー」な心の広い人で、こんな文章書いたんだけど、公開してもいい?なんて尋ねようものなら、何をおこがましいことをと逆に叱られちゃうので、無許諾で公開します。嘘です。私には強固な倫理観がありますから、ちゃんとご本人の許諾を得ています。ただ、文体が「金ちゃん化」しておる、というごもっともな指摘をいただきました。これには、いえいえ、「教育的文体」と呼んで下さい、と言い訳しておきました。文体に関しては金城さんとは「教育」つながりなだけで、一見似ているように見えて、実は文体の孕むベクトルは正反対です。

さて、こんなお伽噺です。

嬉しいことに、ロンドンで優雅な夏休みを過ごしたカオルちゃんこと美崎薫さんから変な便りがあった。美崎さんと言えば、かなり変な茂木健一郎さんからも「あんたは変だ」とお墨付きをもらうほどの変な人である。しかも最近のトピックで言えば、金城さん(id:simpleA)の本質を一言でずばり「ほら吹き」と言い当てたことで知られる慧眼の人でもある。ちなみに、この場合の「ほら吹き」とは美崎的語彙独特の用法であり、一般的には「予言者」とか「見者」とか、要するに前代未聞のヴィジョンを世の中に提示する人、ヴィジョナリーという意味である。くれぐれも「嘘つき」とは混同しないように。最高の褒め言葉である。なぜなら美崎さんこそ前代未聞の「ほら吹き」だからである。本当は密かに「ほら吹き三上」と言われることを願っている私は、美崎さんからは「三上さん、マジメだらかなあ」と言われるのである。そう、私はマジメである。ちなみに、マジメとは、...、無駄口はもう慎もう。

本題。そんな美崎さんが、ロンドンの劇場、グローブ座で優雅な時間を過ごしたらしい。シェークスピアの世界に浸りながらね。そして改めて考えたんだそうだ。「記憶と捏造の狭間」について。私は「記憶と忘却の狭間で」という論文を書いたばかりだったので、ピンと来たわけ。「捏造」と来たか。これも美崎的語彙の一つで、普通は「書き換え」とかもう少し大人しく表現するところを、美崎さんは、ああ見えてかなりサービス精神旺盛な人で、必ずひとひねりするというか、スキャンダラスな味付けをするのね。「捏造」って聞いて眉をひそめる人たちを観察して喜ぶようなところがあるんです。きっと。変な人でしょ。かなり屈折しているよ。しかもひとつとかふたつじゃなくて無数に屈折してる感じ。美崎さんから屈折を取ったら、何も残らないかもしれないくらいにね。でも、屈折のない人生は人生とは言えない、と彼なら断言すると思うよ。

ついつい話しがあらぬ方向に逸れてしまうのは、実は美崎さん本人のせいです。というのも、彼の記憶と記録にまつわる研究というか遊びの本領は、何と言っても「ハイパーリンク」にあるからなんです。世界は己の体験の総体だから、その体験の記録を出来るだけ多くの他のものと繋げることこそが、世界を知るということの中身なんであって、しかもその繋げる行為に終わりはなく、つねに繋がりは増え続ける。私の見るところ、美崎さんはそんな世界観というか知識観を実践している人なんです。なんでも繋げちゃうわけね。尋常じゃないよ。他と繋がってないものには何の意味(価値)もない!と断言するんですから。

そしておそらく多くの人の想像をはるかに超える繋がりを自分の体験記録のデータベースの中で実現しているんですよ。前なんか、金城さんの前世(bookscanner記)で、私がマジメにウィトゲンシュタイのこと書いたら、美崎さんは、こともあろうか、ウィトゲンシュタインを何に繋げたと思う? 一瞬、想像してみて。なんと、ウルトラマンだよ、ウルトラマン! え?なんで?って思うでしょ。ところが、彼の話しを聞くと、なるほどという繋がりが哲学者ウィトゲンシュタインとあのウルトラマンの間にちゃんとあるんだから、驚き。それがハイパーリンクの力。そんな力を自宅の何テラ・バイトか何ペタ・バイトか知らないけどかなり大容量のハードディスクドライブ(「記憶する住宅」)に粛々と構築している、どこか第二の脳を育てているような気配さえ感じさせるのが美崎薫さんなわけです。私にはかなりヤバい荒野を目指していると感じられもするんです。私は密かにドンキホーテと呼んでいます。

そうそう、何を言いたかったかというと、二点あって、一つは美崎さんがロンドンのグローブ座のリッチな椅子に座って天を見上げたときの独特の「視線の記憶」がどうやって出来上がったか思い出せない箇所があるという話がとても面白かったということなんです。どうも彼自身にもまだ辿り切れていない記憶の書き換え、「捏造」箇所があるらしいんだけど、詳しいことは本人がどこかに書くはずだからそちらに譲りますね。ここでのポイントは、記憶というものが本当は絶えず書き換えられている、「捏造」されている、その現場をきちんと押さえるのは、美崎薫には可能だが、グーグル捜査網にも、simple探偵団にも無理だろう、と挑戦状を叩き付けたいみたいなの。ちょっと違うかな。でも凄い感じでしょ。

そしてもう一点。これが一番言いたかったことなんだけど、実は美崎さんがなんでそもそもロンドンくんだりのグローブ座という劇場に行ったのかという最も深い動機に触れた気がしたということね。「世界中で一番気持ちが落ち着く場所」のひとつらしいんだけど、「気持ちが落ちつく」ってどういうことか。そこに美崎薫的探究の真実が隠されていると直観したわけです。面白そうでしょ。だってね、ロンドンのグローブ座は劇場の中の劇場で、歴史的にも明らかに、記憶の想起、「捏造」の壮大な舞台、仕掛けとして設計されたわけで(情報文化論受講生の皆さんには常識だよね。え?知らない?教えたはずだぞ。)、それは言うなれば「記憶する劇場」なわけですよ。つまり美崎薫さんが設計している「記憶する住宅」の正真正銘のルーツでもあると感じたわけです。美崎さんにとっての恐らく「子宮」ね。しかも、そこで演じられる劇を作ったシェークスピアなんかは、どうみても稀代の「ほら吹き」だったということもね。もう一度確認するけど、ほら吹きは嘘つきじゃないよ。ヴィジョナリーだよ。つまり、ロンドンのグローブ座は美崎さんにとっては二重の故郷なわけですよ。だから、時々里帰りするんだと思うよ。

翻って敷衍すれば、現代で真の「記憶の劇場」たりうるものは何かということを美崎さんは問い続け、その解答として「記憶する住宅」を作り続けているんだと思います。ブログに恋して、ウェブこそ「劇場」なんだと言っている私に対しては、美崎さんは「それ、違うんじゃない。ウェブじゃ無理、無理、絶対ムーリ」って言いたいわけね。それで時々思い出したように、何かの「ついでに」、美崎さんは私に変な便りを送ってくれたりするんですよ。「あきらめなさい」という暗黙のメッセージを籠めて。どっこい、私は諦めないけどね。

そろそろ着陸しないと関係者に叱られそうだけど、もうひとつだけ補足させて下さいな。かなり大事なポイントだと思うので。それは美崎さんは自分は現代のシェークスピアであると深く自覚している節があるということです。「ほら吹く」なら、シェークスピアくらいのスケールを持たんとイカンじゃないかと言いたげなんです。とっても面白いでしょ。ちなみに、「シェークスピア」も美崎薫語彙的には、かなり編集されていると睨んで間違いなく、多分ね、全人類が幸せになれるはずの「物語」をほら吹く男、くらいの意味だと思うよ。

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あっ、そうそう、大事なことを忘れるところでした。ご本人からのコメントには、美崎さんは実はシャーロキアンであり、偽作(パスティーシュ)とオリジナルの狭間で揺れながら考え続けて来た、という聞き逃せない言葉がありました。というのも、シャーロック・ホームズを生んだコナン・ドイルのロンドンというかイギリスは美崎さんにとって三重の意味で故郷ということになるわけですよ。しかも美崎さんは探偵マニアってことですね。(金城さんとは「探偵」つながりでもあるわけです。)その証拠として、13歳で手にした『名探偵読本1 シャーロック・ホームズ』(パシフィカ 1978年)の詳細な年表の写真まで送ってくれました。これです。

このように、美崎さんは、一方では「記憶と捏造の狭間で」人間の業と罪を見据えながら揺れ(考え)続け、もう一方では「偽作とオリジナルの狭間で」人間の罰を見据えながら揺れ(考え)続けているわけですね。ユレユレです。常人には堪えられない揺れ(考え)具合です。でも、長年そんな大きな振幅のダブルの揺れに堪えてきたからこそ、美崎さんは世間に向かって堂々と「未来設計者」とか「夢想家」というぶっ飛んだ肩書きで勝負を挑み続けられるのだと思います。かなり変でしょ。モギケンさんが俺より変だと思うのは分かるよね。

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美崎さん、ホントにこれでもオーケー?