やっぱり写真に名前は付けられない

今朝の散歩で撮った写真たちの分類、名付けでもかなり迷った。講釈苦手な人は文章読まずに写真だけ見てくださいね。講釈は前エントリーの「つづき」に近いです。

空を背景に落葉して裸になった凛とした白樺の姿を当初は「時の経過」を強く表すものとして見ていたのだが、今朝はなぜか、まるで一枚の「絵」を見るようにして見ている自分がいることに驚いた。これは私の分類では「自然芸術」に近い感覚である。ここ数日、『mmpoloの日記』で、山本弘の衝撃的な絵の数々を見て、「絵」の奥深さについて、色々と感じ始めていることが「写真」に影響したのだろうか。

また、他方では、この時期この土地に特徴的な景観の一部であることも看過できないと思った。それを表すのは[ls:landscape]である。感じたことを全部タグ付けすれば、[tm_an_ls_pl_whitebirch]。


それだけではなかった。この写真、昨日降り積もった雪が解けて一部シャーベット状に凍り付いた裏道の様子にどんな名前を付けるべきかでも私は悩んだ。冬の到来という意味での「時」[tm]はいまひとつピンと来なかった。氷で覆われかけたアスファルト[ls]が美しいとまではいかないが何か非常に新鮮な印象[an]をもたらしていた。しかも風太郎[fu]が写ってしまっている。だからこの写真の名前はカテゴリー表記上は[tm_ls_an_frozenstreet_fu]。


これも迷った。[fa](対象物のフレーミングアート)にするか[an](つららという一種の自然芸術)にするか。どちらとも言える。写真としてはズーミング不足でフレーミングが弱い。[fa_an_icicle]。


これは迷いなく、[fa_bd]。目に留まった建造物[bd:building]の美しく見えた細部を切り取ったフレーミングアート[fa]。ズーミング不足。と、思いきや、主観的なアート感とは別に、ペンキが剥がれてゆく「時の経過」を表す[tm]を付けたくもなった。[tm_fa_bd]。


これはまだ咲いているという驚きと花の色が伝える生命感が雪を背景に際立っている様子が写っていると思ったが、やや複雑な時の経過[tm]を感じさせもし、また自然芸術[an]に見えないこともなく、迷った。[tm_an_pl_fl]。[fl:flower]は色が際立った特徴になっている花。