好ましくないリンク

今日は朝から日帰り人間ドックに入った。待機部屋があてがわれ、そこの丸テーブルに古いPowerBookモールスキン手帳と、ペン3本、一週間分の新聞記事の切り抜き、吉増剛造さんからの手紙、mmpoloさんが送ってくださった投げ入れ堂のコラム、本4冊をセッティングする。

どこに行っても、場所さえあれば、そこを想起のための書斎にする癖がついている。美崎薫さんや増井雄一郎さんのように、デジタル空間ではなく、限りなくアナログ空間。時間的には検査が始まるま前と終了後の1時間に満たない、しかも細切れの時間しかない。だが、そうして「仮留め」しといた想起の媒体を眼の前に拡げるだけで、色んなことが発想される。

検査移動中は『ラハイナまで来た理由』を持ち歩く。「いつもその窓から見ていた」に、美崎薫さんが書いていた、一生かけて本棚を作る話が出てくる。「僕」が、父親が晩年にひとりで住み、息を引き取ったハワイの凝った造りの家を久しぶりに訪ねたときに、その父親の一生の全体験への索引のような本棚について深い感慨を覚える場面だ。

廊下の途中に本棚がある。柱と柱のあいだがきっちり三メートルの部分があり、その部分の壁をフロアから天井までふさいで、本棚が作りつけてある。父親が自分で作った本棚だ。この本棚に、父親がかつて自分のものとして手にして、少しでも読んだり眺めたりした本や雑誌、つまり市販された印刷物が、すべて収めてある。自分の手に渡ったものは、それがなにであれ、父親は捨てたりなくしたりはしない人だった。すべて保管しておく人だった。本や雑誌に関しても、彼はそのルールを守った。(p.65)

素晴らしい、と感動した時、「三上サーン、はい、バリウム検査の前に、筋肉弛緩剤の注射をしますから、こちらへどうぞ。」と看護婦さんから声がかかった。「筋肉弛緩剤」という響きが不気味だった。胃腸の蠕動を止めるためなのだろうが、胃腸にだけ効くわけではなかろう。元来それでなくても注射が嫌いな私にとっては、「キンニクシカンザイ」は全身が麻痺してしまった状態のイメージを喚起する。実は昨年同じ人間ドックに入ったときには、その注射を受けなかったために、バリウムが胃壁に密着せず、レントゲン写真が不鮮明で、結局、胃カメラによる再検査をうけるはめに陥ったのだった。なので、今回はあきらめてその注射を受けることにした。心配だったのでちょっと看護婦さんに尋ねた。「稀に、胸が苦しくなったり、眼がチカチカする場合があるようですが、もし具合が悪くなったら、おっしゃってください。」と至極あっさりと受け流すように答え、左上腕にブチッと針を刺した。そして彼女は「筋肉注射ですから、痛いですけど、すぐ終わりますからね。指先は痺れませんか?」と言った。「指先が痺れる?」そんなことを言われると、指先に神経が行って、痺れているような気になるではないか。左上腕はかなり痛かった。「一生かけて本棚を作る話」はしばらくどこかへ吹っ飛んだ。

私の体験の中では「一生かけて本棚を作る話」と「筋肉弛緩剤の注射」がリンクしてしまった。これはあまり好ましいリンクではないと感じている。