人生演劇論

今日の専門演習では、N君、M君ともに知りたがった一昨日の情報デザイン論特別講義の様子とゲスト講師増井雄一郎君について私が報告することから始まった。話題は多岐にわたったが、すべては「生き方」に収斂した。で、適宜私の方から彼らに質問した。彼らの回答が興味深く、そこから私は私の過去の体験をいろいろと想起することになり、対話はやや迷走しつつも、最終的に「人生演劇論」とでもいうべき議論に発展した。

日々俺たちは人生という降りられない舞台上である役柄を演じているよね。私はmmpoloさん推薦の「タンゴ、冬の終わりに」を突然想起して、そういえば、最近凄い舞台のビデオを見たんだよ、とその解説を交えながら、しかし、人生という舞台では、自分で脚本家から演出家から役者から舞台装置係から、ある意味では観客すら、すべてを「演じる」ことになる、という「人生演劇論」をぶってしまった。

そうなってしまったのには、N君のプライベートな告白があったからなのだが、今まで演じてきた自分が壁にぶつかっているとしたら、脚本から書き直して、新たな舞台を作り上げるしかないんじゃないの、という脈絡での話の展開だった。「人生は筋書きのないドラマ」なんていうもっともらしい言葉があるが、それは自分の人生に対するヌルい認識の表明にすぎない。自分の人生の筋書きをちゃんと書けるようにならなきゃ、ダメだぞ、と私は、はて、そんな偉そうなことを言えるほど、自分の人生の筋書きを書けているか、と反省した。

もちろん、細々としたところでは、何が起こるか分かったもんではないのが、人生である。しかし「大筋」は自分で「書かなきゃ」だめでしょ。そして、ここは絶対に譲れないという「線」を密かに、しかし、しっかりと心に銘記しとかなきゃ。そのあたりで、身に覚えのあったらしいM君からプライベートな告白があった。彼は自分の衛るべき「線」を明確に認識している。しかし、相手によってはその認識が揺らぐことがある。戦線を後退すべきか、そこで踏ん張るべきか。彼の話を聞いたかぎりでは、後退すべき理由はひとつもないと私は判断した。ゴー。後は「腹をくくるだけ」。