旅の記録・記憶の旅1

われわれとて、幾多の影に囲まれて夢み、自分の心に声を出して話しかけ、答えのないことばがわが身にこだまして来て、初めて目ざめるような日々を送っているからである。
Lafcadio Hearn, The City of Dreams

2005年3月、私はレンタカー、フォードの小型車、ドッジ・ネオンを駆ってカリフォルニア州をサンフランシスコからロス・アンジェルス(1日目)、サン・ディエゴ(2日目)、そして国境に接した町まで縦走した。そこから徒歩で鉄格子の回転ドアを抜けてメキシコに入り、小さな町、ティワナを散策した。

最初の予定ではそこから再びサン・ディエゴ、ロス経由で帰途につくつもりだったが、予想外に体力も気力も残っていたので、少し躊躇った後、決心して国境沿いに東へ向かい、カリフォルニア州を出てアリゾナ州に入った。そして今度は一路北上し、さらに東進してフェニックスまで走った(3日目)。そこからはインディアン居留区をかすめながらさらに北上してからカリフォルニアへもどる唯一のフリーウェイ10を西進した。一旦ロスまで戻り(4日目)、そして海岸沿いの1号線をスタンフォードまでひたすら走りつづけた(5日目)。4泊5日、走行距離約2300マイル、約3400キロの無謀な一人旅だった。

この旅を私は密かに「修学旅行」と名付けていた。一年間のアメリカ生活で身につけたものを試すための旅だった。しかし実際には新しい体験の連続の毎日で、当然の事ながらかなりの緊張の連続のためか、最終日には運転中に胃痙攣を起こし、何度か停車して、太平洋を眺めながら、痙攣の収まるのを待つしかなかった。


胃痙攣が収まるのを待った海岸。そのうち子犬を連れたおばさんとその知り合いらしい若い娘が傍にやって来て、私に煙草をせがんだ。彼女たちと軽く言葉を交わした。子犬は私にまとわりついた。私は太平洋の向こうを思っていた。ハリウッドっぽい彼女たちと世間話をする気はしなかった。

地図だけが頼りの、無計画な旅だった。宿の予約もしていなかった。あらかじめ立ち寄る予定の街の宿の空き状況などをウェブで一通り調べてはみたが、実物をこの目で見てから決めたかったからだった。

初日は一気にロスまで走った。見当をつけていたサンタ・モニカのヴェニス・ビーチに近いモーテルに辿り着いて、チェックインの手続きを済ませ、外階段を上って二階の部屋に転がり込んだときには午後7時をすぎていた。空腹だった。

晩飯のためのレストランとネットで調べてあった変な名前のバー、Temple Barの場所を確認するために車で街に出た。とにかく親密な空間で生演奏を聴きたかった。

Temple Barのカウンターで書いた記録:

中華レストランでちょっとリッチなディナーをとった後、テンプル・バーに来た。最初入りかけて、雰囲気にちょっと躊躇して、隣のカフェでダブル・エスプレッソを注文して、戸外の席で一服した。気を取り直して、テンプル・バーに入る。ライブチャージは7ドル。手の甲に特殊なインクのハンコを押され、薄暗い廊下を中へ進む。店内は暗い。お香が焚かれている。バー・ラウンジは黒人とヒスパニック系の客で混雑していた。三つのバンドのライブがあるという。ワールド系とラテン系らしい。現在八時四十五分。カウンターでギネスを注文。バンドの生演奏は粗末な壁一枚で隔てられた隣のステージ付きダンスホールでやるらしいが、壁際におかれたテーブル席はすでに満席。床に座るしかないなと軽く決心する。ライブが始まるまでと思い、カウンター席に陣取り、これをロンの名刺の余白に書いている。他に紙を持ち合わせない。CDが大音量でかかっている。バーテンダーはヒスパニック系の愛想のいい若い男。ろうそくの明かりだけで斑模様に照らされた店内をあらためて見回す。白人、インド系の客も少しいる。アジア系は私一人のようだ。

最初はサルサ・バンドだった。テクニックもソウルも最高だった。彼らの演奏に合わせて次々と踊り始めた客たちに混じって、ひときわ見事な身のこなしで舞う褐色の娘が目に飛び込んできた。後でバンドリーダーの娘だということを知った。彼女の動きにしばらく目が離せなかった。人間はこんなに幸せそうにしなやかに踊ることができるのか、と心底感動した。彼女とときどき視線が交差する。一緒に踊りたかった。最初床に座っていたのは私一人だったが、そのうち、一人、また一人と、グラスを片手にした客が私の周りに陣取りはじめたのだった。客席係の黒人の若い娘は迷惑顔だった。しばらくの休憩の後始まった楽しみにしていたジャズ・バンドの演奏、黒人女性ヴォーカルはいただけなかった。途中で私は店を後にした。

パロアルトでもサンフランシスコでも行く機会のなかったバーのライブにロスでやっと行くことができて、嬉しかった。車だったので、酒がほとんど飲めなかったのが残念だったが。演奏の合間にバーテンダーや見知らぬ客と雑談を交わせたのもよかった。

サンマテオの代理店でようやくレンタカーを借出したのが、午前9時すぎだった。ロスのモーテルの部屋に入ったのが午後7時過ぎ。約10時間の強行軍だった。でも、まだ1日目。