タグの思想


(流行しているノロウィルスのせいではなさそうだが、数日前からお腹の調子がすぐれず、とうとう今朝、散歩から戻った後からお腹の調子が急降下して、何度もトイレに駆け込んだ。体中の力が抜け、頭も働かない。かといって、寝込むほどではないので、お腹から下に毛布を掛けて、ぼーっとした頭で、ネットに向かっていた。)

インターネット上の膨大な情報の波間をいかに上手にサーフィン、スキャンして、目当ての、あるいは上質の情報を手にするか、その方法論のようなことを、ずっと考えている。

そのためには、いちばん身近な自分の経験をしっかりと見詰め直すことが先決だという思いもあって、自分の日々の行動(本質的に検索・探索行動である)を観察するということも続けてきた。そして、自分で撮った写真にどんな名前を付けておけば、後から探し出しやすくなるか、自分が書いた文章にどんなタイトルを付けておけば、あとから探し出しやすいかなど、自分を実験台にしていろいろと試してきた。

それは従来の検索の原理に変わるかもしれない新たな原理としての「フォークソノミー」における不特定多数の素人による「タグ(づけ)」の問題に直結するらしいことは分かってはいたが、どうもいまひとつピンとは来ていなかった。

「タグ」に関する情報をそれこそ、フォークソノミーも利用しながら、検索していて、CNET Japanのちょっと古いが大変示唆に富む記事を見つけた。

  • タグ--- ロボット検索への挑戦

http://japan.cnet.com/column/web20now/story/0,2000055934,20093873,00.htm
文: Daniel Terdiman (News.com)?翻訳校正:坂和敏(編集部)
2006/01/10 09:00??

原文はこちら。

  • 'Tagging' gives Web a human meaning

http://news.com.com/2009-1025_3-5944502.html
By Daniel Terdiman?Staff Writer, CNET News.com ?November 16, 2005 4:00 AM PT

この記事では、Yahooに買収されたことからも、その人気、実力ともに実証された感のあるFlickrのサービスを支えるのがユーザの「タグづけ」であることを話題の中心としながら、したがって、「画像のタグ付け」がもたらす利便性を中心に、「タグ付け」が内包する哲学的、特に社会哲学的な論点を浮き彫りにしている点が、非常に興味深かった。

一番面白かったのは、「タグ付け」は、むしろ画像以外の情報源、オンライン上のテキスト(ブログの記事やブログ自体、またはウェブページ)のみならず実世界の物の検索あるいは探索にこそ、今までにない効果を発揮するのではないか、ということだった。

実際に、記事のなかで実例としてあげられている、政治系ブログ『Daily Kos』、ブログ検索サイトの『Technorati』、美術館の所蔵品にタグを付けるプロジェクト、そして『Ministry of Reshelving(棚替え省)』と呼ばれるプロジェクトなどはまさにそうだった。

それで、なぜそういうことになるのか、を考えていて、最初は軽く読み飛ばしていた次の箇所が再読したときにクローズアップされた。

タグは実用的なだけでなく、概念としても優れていると指摘する人もいる。タグの概念は、インターネットの黎明期をほうふつとさせる社会的な思想を内包しているからだ。タグユーザーの多くは、タグが個人に力を与えるシステムである点を高く評価している。長年の間、ユーザーはサイト管理者が決めた分類に従って、サイトを見て回らなければならなかった。しかしタグの登場によって、そうした状況は飛躍的に改善されつつある。

 「この数十年は、トップダウンメタデータを利用したプログラムが主流だった。ユーザーはサイトの構造を理解し、それに従ってデータを分類しなければならなかった。しかし、これは人間が得意とすることではない」と、技術カルチャーに特化したブログ「BoingBoing」の編集者で、電子フロンティア財団(EFF:Electronic Frontier Foundation)の欧州担当コーディネータを務めるCory Doctorowは言う。「folksonomyの優れた点は、ユーザーが自分の利益のために、自発的に情報を管理することによって、付随的または偶発的に正の外部性(positive externalities)がもたらされるようにしたことだ」

この日本語訳には「付随的または偶発的に正の外部性」など、ピンとこない箇所があったので、原文を参照してみた。

Moreover, beyond its practicality, others find a philosophical significance in tagging because it is consistent with the social thinking often associated with the beginnings of the Internet. What many fans of tagging like best is that it is a system that empowers individuals. And after years of users trying to find their way around Web sites using categories defined by a small number of people running those sites, tagging is a huge relief.

"We've had this decades-long program of top-down metadata. People (were asked) to go out and become familiar with one ontology and to make sure data is categorized like this. But people are not very good at this," said Cory Doctorow, an editor of the technology culture blog BoingBoing and the European outreach coordinator of the Electronic Frontier Foundation. "I think what's completely right about folksonomies is asking people to do something for their own benefit, to have them organize their own information and then find the accidental or fortuitous positive externalities."

原文が湛えるニュアンスを前面に押し出して意訳、敷衍するなら、こんな感じだろう。

インターネットにおける、あるいはインターネットによる「知の革命」ないしは「知のルネサンス」と言ってもいいような「哲学的な意義」が「タグ付け」には潜んでいる。そしてそれは新たな「社会」の創出の可能性を示すような「思考」と繋がってる。そしてその核心は、出発点はあくまで私的な情報の組織化にすぎない「タグ付け」が、ある量的な限度を超えたときに、結果的に「頼りない私性」が「頼れる公共性(社会性)」を獲得するというか、恣意性が信憑性に変質するということである。

ところで、Flickrにおけるような写真のタグ付けに関しては、『Ministry of Reshelving(棚替え省)』プロジェクトのJane McGonigalさんの次の言葉が本質をついているようで、非常に印象的だった。

Flickrユーザーの写真にタグを付けるのは、その写真に好意を持っていることを示すためだ」とMcGonigalはいう。「抱きしめる代わり、といってもいいかもしれない」

原文では、

"When I go to Flickr and I tag people's photos, it's to show them that I care," she said. "It's like a hug."

なお、この記事の著者Daniel Terdimanさんは、フォークソノミーが従来の検索エンジンに取り込まれる可能性や、タグ付けが企業の「事業計画の基盤」になる可能性などについても軽く触れているが、それらを論じる力量はない。