屑の叡智

梅田望夫さんが非常に意味深長なことを書いている。
「Wisdom of Crowds(群衆の叡智)」元年の最後で、私はある言葉に眼が釘付けになった。

年末年始は、去年から溜めに溜めた、本何十冊分くらいになるはずの膨大な「再読用書評・感想集」を読みながら、ああでもないこうでもないとずっと考え事をしていた。それで、やはり改めて「Wisdom of Crowds」(群衆の叡智)とは、とてつもないことで、何もまだ始まっていないのだな、と思う。これまでは人間の脳という物理的な制約の中に閉じ込められてきた個人の経験や思考が、これからは他の人たちとゆるやかに結びつき始めるのである。そういう「Wisdom of Crowds」元年がまさにいま始まろうとしているのであって、そういう未来を垣間見せるきっかけとなった初期の道具としてのSNSやブログの枠組みが今のままで「終わり」であるはずがなく、イノベーションには「踊り場」がつきものなのでどういうタイミングで何が起こってくるかは予想できないが、「次の十年」の最重要キーワードは相変わらず「Wisdom of Crowds」なのだ。

私は梅田さんが「踊り場」という言葉を使ったことに驚いていた。と同時に一瞬「何か」が見えた気がした。「踊り場」の辞書的な意味は「階段の途中に,方向転換・休息・危険防止のために設けた,やや広く平らな所」(『大辞林』)である。まだ誰も正確には予想できない「方向転換」が「SNSやブログの枠組み」という「踊り場」で着々と準備されている。技術的なことはよく分からないが、例えば私が日々ブログやウェブで感じている色々な壁の少なくても一部が「Wisdom of Crowds」(群衆の叡智)という地平で思いも寄らない方向にブレークスルーされるはずだという予感。「どういうタイミングで何が起こってくるかは予想できないが」、その「何」かは近い将来に必ず起こるという予感。

「踊り場」には、文字通り、踊りをおどる場所という意味もある。私は一人の踊る阿呆にすぎないが、見るだけの阿呆には感じられない「何か」を確かに感じている。「これまでは人間の脳という物理的な制約の中に閉じ込められてきた個人の経験や思考が、これからは他の人たちとゆるやかに結びつき始めるのである。」すでに一部では始まっているそのような動きを加速するようなイノベーション。それは言い方を変えれば、これまで私たちが自他ともに不当に過小評価してきた、非常にプライベートな、「屑(くず)」とも見なされかねない経験や思考の大切さを根本から見直し、尊重し共有するという「壊れ易い」、生まれたての赤児のような「精神」の進化と言えるかもしれない。その意味でも、梅田さんが引用しているnigel_fさんの言葉は本当に象徴的である。

私の親父は獣医で、幼い私に馬や牛の出産をよく見せた。誕生を待つ時間はとても長く感じるが、透明なベールに包まれたその子が母の胎内から産み落とされた瞬間から、厩舎のすべてのいとなみは、まばゆく輝くこの幼い命を中心に回転しはじめる。

インターネット、ウェブは、これまで現実社会が「屑」として切り捨ててきた膨大な潜在的な財産を「まばゆく輝くこの幼い命」として掬いだし、社会をそれを中心に回転させるような可能性を拓きつつあるのかもしれない。

梅田さんに倣って、はてラボの「はてなセリフ:書き初めくん」を使ってみました。
http://serif.hatelabo.jp/bd8d4e68d87fe012901fb4e08e1e6dd630edd41f/