Calling you

言葉の意味は問題ではなく、言葉を発する、言葉を掛けること自体がこの上ない、意味を超えた行為(act)として重要な、必要な場合がある。死を間近に控えた者と過ごす時間のなかでは言葉はかぎりなく意味から遠ざかり、声そのもの、呼びかけそのものと化す。その重量は無限にさえ感じる。日頃の挨拶だって実はそのような行為のひとつだ。挨拶の言葉は意味を超える。言葉を掛けることは意味を超えた脆い関係の創出なのだ。

放っておけば、言葉の意味の罠にはまりかねない人間。関係から退却しかねない人間。そして逆に無限に開かれているはずの関係を意味で押さえ込もうとする人間。決めつけようとする人間。そうすることで肝心なつながりを見失う人間。意味の病。言葉の病。「同じ」人間であることに焦点を合わせられない眼。「同じ」生命であることに焦点を合わせられない眼。「同じ」死ぬ存在であることに焦点を合わせられない眼。

何も共有しないかに見えるところに「つながり」をつけることができるかどうかということが、「関係」ということを本当に理解しているかどうかの試金石になる。言葉の命が「呼びかけ」にあることを自覚した書き手は非常に少ない。多くの場合、意味の戦場で消耗戦が繰り広げられる。感情が浪費される。自分がどんな相手にどんな呼びかけができる人間なのか。自分から呼びかけなければ、何も始まらない。

映画『バグダッド・カフェ(Bagdad Cafe)』とJevetta Steeleが歌う主題歌Calling Youを思い出す。もしやと思って、YouTubeで検索したら多くの歌手によるカバーの中にジェベッタの歌う「呼びかけ」の声があった。久しぶりに聴く。