声と波


Meredith Monk - Lost Wind from Volcano Songs (1997)



もし世界の声が聴こえたら―言葉と身体の想像力

 世界にも声がある−−−メレディス・モンクの不思議な野生の呼び声を聴くたびに私はそんな感じを抱いてきた。もし世界を聴きとる特異な耳が私にあったなら音楽家になっていただろうが、私は概念と言葉を扱うだけの頭でっかちな野暮天にしかなれなかった。私は自分の耳が聴きとる世界が随分かぎられたものであることを知らされる。同じように、もし自分の眼のなかに不可能なヴィジョンを捕捉する知覚があったら、私は躊躇なく画家になっていただろうが、私はおそらく眼を閉じて考える方が似合った人間だった。むしろ私は思考を芸術のように展開しようと努力してきたのだろう。
 世界には私たち人間だけが住んでいるのではなく無数の動物たちが生息している。眼に見えないほどの微生物から巨大な鯨のような動物まで、おとなしい家畜ばかりではなく凶暴な野獣まで、数えきれない生き物が生きている世界なのだ。大小、色とりどりの植物が育ち、枯れ、土に帰っていく。風景はこれら全部を包み込み、空は光と暗黒をわれわれの上にまで広げている。風景に潜む生命は直接は私の耳にも眼にも届かない。私と彼らの間には、深い亀裂があるのだ。メレディス・モンクの声につれて、私には見えなかった風景が立ち上がり、知らなかった動物たちが深淵を超えてやってくる。私自身のなかにほんの少し、野生が芽生えたかもしれない。むしろそれを喪失し、孤独に残されているのだということを思い出すだけかもしれない。

(中略)

 モンクの歌がエスニックな印象をあたえる理由は、西洋の音楽の正統に従っているのではなく、世界中のどこにでもある、そして世界がもうすっかり失ってしまった野生の声と旋律をもっているからだろう。だが、私には音楽について詳しく分析する能力はもっていないのでそこから考えるのは避けておこう。
 私がもっと深く感じていることがある。彼女の音楽には言葉が分かるものもあるが、ほとんどは声だけである。私はいつも彼女の歌を聴いていて、意味以前の言語の世界に戻っていく思いをしている。声を分節し、意味を伝達する言葉ではなく、身体全体がなにかを伝えようとする叫びであり、歴史の深い闇に沈んだ身体から出る声=言葉を感じとる。世界中の誰でもが、その身体の始原に起こることを伝えるためにもっている言葉以前の言葉……。

  多木浩二『もし世界の声が聴こえたら』(青土社、2002年)



波と耳飾り (移動鏡シリーズ)

 世界を波として感じたとき、人は郷愁をおぼえる。

  港千尋『波と耳飾り』(新潮社、1994年)