弔問

一人の学生が亡くなった。病気だった。明日弔問する。大学一年生、19歳、これからという時だった。無念極まりない。ご両親の胸中ははかりしれない。春学期、4月から7月まで彼は私が担当の二つの授業に出席していた。皆勤だった。もの静かな子だったが、その深い色の目が印象的だった。周囲からちょっと距離をおいた控えめな佇まいの姿が目に浮かぶ。秋学期になってからは姿を見る事はなかった。短い冬休みが明けて間もなくのことだった。寝耳に水だった。彼は死んだ。死亡診断書も見せられた。演習室での彼の少し不安げな眼差しと朴訥とした話しぶりがまざまざと思い出される。死んだと知らされなければ、実際に会うことはなくても、彼はあれからどうしているかな、どう変わっているかなという心配と期待のなかで生き続けたはずだ。そして会える可能性があった。しかし、もうあの思い出の中でしか彼に会うことはできない。彼は思い出の中の住人になった。それが人が死ぬということなのか。明日は私が思い出せるかぎりのことをご両親に話し、できればご両親から彼のことを少しでも伺えたらと願っている。しっかりとした思い出を作ろうとすること、それが供養の第一歩のような気がする。遺された者たちが思い出を持ち寄って記念碑をちゃんと作ることが死を弔うことの意味ではないか。彼が19年間の人生を全うしたことをしっかりと心に刻んできたい。彼が生まれ、見て育った町を歩き、最後に彼が見たものを私も見たい。