論理学入門 第2回 復習(神の論理 VS. 人間の論理:否定の深い意味)

受講生の皆さん、こんにちは。第2回目の授業はどうでしたか。第1回目の復習に時間をとられてしまい、論理学が扱う否定の意味、否定に関する論理法則の解説がやや早足になってしまいました。授業終了後大勢の人が質問に来てくれたり、すでにコメントで質問を寄せてくれた学生さんもいたことは非常に嬉しいことです。

次回の授業でも復習しますが、今回やったことのポイントを簡単に振り返っておきます。ついでですから、今までやったことを、ちょっと違う観点から敷衍してみますね。

まず、論理学とは思考が辿る「安全確実な意味のルート」を描くのだとイメージしてみてください。ただし、「意味」と言っても目には見えませんから、どうするかというと、意味を表している言葉に注目して、「安全確実な言葉のつながり」を探るわけです。で、実際にやることはどういうことかというと、数え切れないほど多種多様な言葉を篩にかけて、「安全確実な言葉のつながり」に関係している言葉を選び出します。どういう基準で選ぶかというと、これがなかなか難しいのですが、要するに「普遍的な」、「汎用的な」言葉を選び出すんです。

そんことはできるのかと思われるかもしれませんが、意外にもできるんです、というか自分でゼロから選び出すことは大変でしょうが、言われてみれば、ほとんど文句のつけようのない候補がすでに選び出されているのです。その候補というのが、否定語、接続語、そして量化語なのでした。私にもすべての人を納得させるような説明をする自信はありませんが、簡単にいうと、それら以外の言葉は別の意味では重要だけど、「安全確実な意味のルート」=「安全確実な言葉のつながり」を作るには必要ないということなんです。これではまだ納得しない人もいるかもしれませんが、まあ、もうしばらく付き合ってくれれば、次第に納得できるようなると思います。

次に、否定語、接続語、量化語だけを使って、確実な思考のためのルート・マップを作るわけです。その地図を専門的には「体系」といいます。ですから作ることを「体系化」なんていいます。そして、そのような確実な思考の道路地図の基幹道路か高速道路にあたるのが、今回一部紹介した「論理法則」、授業では「必ず成り立つ命題」といったものなんです。慣れて来たら、それこそ高速で思考できるようなるわけです。今回はそのような論理法則の中でも一際異彩を放つ「否定」に関わる論理法則がどんなものかを一通りやったわけでした。

否定に関する論理法則に入る前に、そもそも日常的には私たちはどういう場合に否定表現を使うのかということを見ました。簡単に言えば、「A」と思ったり、言われたりしたけど、現実の状況、何らかの確かな根拠がそれを打ち消すとき、私たちは「Aではない」と否定するのでした。では、一般的にこのような「Aではない」という否定の主張が正しいと言えるのはどういうときかというと、「A」と主張すると間違いになるようなときですよね。これが実は論理学が扱う「否定」の意味だということでした。野矢茂樹さんは『入門!論理学』の中で、次のようにまとめています。

ある状況で「Aではない」と正しく主張できるのは、その状況で「A」と主張するとまちがいになるときである

ただし、私たちは日常生活では結構複雑なニュアンスを巧みに操りながら、「〜ない」を使っているのでしたね。特に対概念がある場合や、曖昧な概念の場合には、一口に「否定」といってもそのなかには、純粋な否定以上の、肯定的要素が含まれていたりするのでした。論理学は、そのような日常的な否定表現の持つ意味を整理した上で、純粋な否定の部分だけを取り出します。野矢さんは、この点を踏まえて、論理学が扱う「否定」について再度次のように注意しています。

「A」という主張に対して、それをともあれ打ち消すということ、そしてさしあたりそれ以上のことはいわない。

こうして日常的な否定の意味から論理学が扱う「否定」の意味を明確に取り出した上で、否定に関する論理法則の説明に入りました。

1 排中律
最初に取り上げた「排中律」は、どんな主張もある状況で正しいかまちがっているかどちらかである、という命題でした。簡単に「Aまたは(Aではない)」と表します。一見、文句のつけようのないこの排中律に、実は深い問題が潜んでいるのでしたね。そして現に排中律を認めない立場で作られた標準的ではない論理学*1があるのでした。排中律を認めない根拠は、主張のなかにあいまいな概念が含まれている場合や、人間の認識ではその主張の正しさを決めかねる状況があるということでした。もっともな理由ですよね。でも、私たちは排中律を認める立場にたって作られた標準的な論理学をマスターする道を歩んでいます。この立場は何を意味するかというと、ひとつには、曖昧な概念を扱わない、明確な概念しか扱わないということ、もうひとつは、人間の認識の限界に縛られた世界ではなく、あたかも神の視点からとらえたれたすべて見通された世界を前提にするということです。

2 二重否定則
二重否定とは、同じ主張を二回続けて否定することです。二重否定則とは、ある主張が正しいとして、それを二重否定した結果得られる主張も正しい、そして逆に、ある二重否定された形の主張が正しければ、そこから二重否定を取り除いた主張も正しい、という命題です。ややこしいので、簡単に表すと、前者が「A→(Aではない)ではない」、後者が「(Aではない)ではない→A」となります。前者は問題なく成り立ちます。ところが、一見問題なさそうな後者には実は排中律に潜んでいたのと同じ問題が潜んでいるのでした。「Aではない」が間違っているからといって、即「A」が正しいと言い切れるのは、排中律を認める立場、私たちも立っている立場に立っているからです。排中律を認めない立場からは、それは認められないわけです。

3 矛盾律
矛盾とは、両立不可能な二つの主張を両方同時に主張することです。「Aかつ(Aではない)」。矛盾は状況いかんにかかわらず間違った主張になります。ですから、矛盾は必ず否定されます。つまり、矛盾の否定は必ず正しい主張になります。この矛盾を否定する命題を矛盾律と言います。「(Aかつ(Aではない))ということはない」。矛盾律排中律を認めない立場からも認められます。

4 背理法
背理法はふつうの直線的な論証、「直接論証」に対して一種の回り道をするような「間接論証」と呼ばれたりしますが、実はそのような手のこんだ論証ではなく、最初にやった「否定」の意味を厳密に規定したものだと考えられます。すなわち、ある主張を否定してよいのは、どういうときかということを規定しているわけです。どういうときだったかというと、「矛盾」が生じるときでしたよね。ある主張を否定したいときには、その主張から「矛盾」が導かれることを示せばいいのでした。背理法の一般的な形は、「『A』を仮定して矛盾が導かれるとき、『Aではない』と結論してよい」でした。

以上、簡単に振り返りましたが、次回の授業でももう一度振り返ってから、次の「接続」に関する論理法則に入ります。

*1:例えば、代表的なものに、直観主義論理学がある。