Harry Smith:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、4月、115日目。


Day 115: Jonas Mekas
Wednesday April. 25th, 2007
5 min. 12 sec.

snippets of old
footage all about
Harry Smith
I was thinking about
him today

ハリー・スミス
の古いフッテージ
の切れ端
今日は彼のことを
考えていた

亡友ハリー・スミスが写っている古いフッテージ(編集前のビデオ)を見ながら、メカスは何を思っていたのだろうか。

冒頭に「ハリーに関する二、三の簡単な注」と手書きされたテロップが入る。(以下、カギ括弧はテロップの内容。)
「1965年」。
本当に古めかしいセピア色のモノトーンの小さな画面の無声映像。ハリーが室内で何か作業している様子。カメラの方を見て笑い、愛嬌のある仕草をする。小さな女の子が俯いて何かしている。わずか数秒の映像。

「1974年」。
「ソーホーでハリーはジョン・ホイットニー(John Whitney, 1917-1995)に出会う」。同じようなセピア色の無声映像。路上で立ち話をしているハリーとジョンの様子。

ブレスリン・ホテル(BRESLIN HOTEL)*1のハリー」。逆光の中のハリーの顔。ホテルの部屋には見えない、むしろアトリエのように見える部屋の中のテーブルや作業台が見える。壁にかかったハリーの作品らきし何枚もの絵。本棚。小さな女の子に紙に描いた絵を見せるハリーの姿。バスルームのシャワー栓にとまっているセキセイインコ。目の前のテーブルの隅にとまったインコを見つめる小さな女の子。狭い部屋で前屈みになって何か作業しているハリー。本当に一瞬、1秒に満たない瞬間、鏡にカメラを構えたメカスの姿が写る。路上で、ハリーは赤ん坊を抱いた女性に近寄り、赤ん坊の手を握る。薄暗い室内で会話するパティ・スミスとハリー。"...Picture Palace"とだけ読み取れる印刷物。

「ハリーは車を拾い、小切手を食べる...」。街角でタクシーに乗り込むハリー。建物の中に入り、大勢の人がいる部屋でカメラに向かって紙切れを口に挟んでみせるハリー。薄暗い映像で細部は全く識別できない。

アンソロジーでのアーティスト・イン・レジデンス(Artist-in-Residence)としてのハリー」。ここから、音声付きカラー映像になる。事務机に向かい電話をかけるハリー。そこにサルバドール・ダリのような髭をたくわえたスーツ姿の男が現われてちょっとしたやりとりがある。電話をかけ続けるハリーの姿。

写真も映画も撮影時は関係者のリアルタイムの人生だが、それ以降は過去の記録になる。自分が撮影した写真や映画であれば、それらは過去の自分の記録でもある。自分は何をどう見たのかという記録。メカスは過去に撮影したハリー・スミスを中心としたフィルムの中に何を見ただろうか。何を思っただろうか。

それにしても、今日の5分ほどのフィルムを構成する元になる過去のフッテージの「切れ端」と言われる映像は、確かに日常生活の映像なのに、普通なら決して映像として残らないような、人生の無意識、真っ先に忘却されるような瞬間、でもそれを見れば、その時その時の人生がまざまざと蘇るに違いないような映像であると感じた。

ところで、14日目(1月14日)に、パティ・スミス(Patti Smith)が故ハリー・スミス(1923-1991)のためにアレン・ギンズバーグ(1926-1997)の詩「Footnote to Howl」を朗読したのだった

*1:建築の観点から見たニューヨークの代表的なホテルの情報はhttp://www.nyc-architecture.com/TYPE/TYPE-Hotel.htmを参照。