Yoko Ono, John Lennon, George Harrison and Fred Astaire :365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、11月18日、322日目。


Day 322: Jonas Mekas
Sunday, November 18th, 2007
3:35 min.

from the outtakes --
Yoko Ono, John Lennon,
myself ---

カットした場面から、
ヨーコ・オノ、ジョン・レノン
私。

哲学者のウィトゲンシュタインがこの現実世界と日常言語に密着してそのラジカルな思考を紡いだように、メカスは友人達と共に生きる現実世界に可能なかぎり寄り添いながら、ラジカルな「映画言語」をまるで日常言語を回復させるかのような手つき、目付きで孤独に構築してきたと言えるだろう。60年代から70年代にかけてのかなり傷んだ16ミリのフィルムを回顧しながら、彼は自分がそうして歩んで来た道を静かに振り返っているかのようだ。1949年にリトアニアからの移民としてニューヨークに漂着して以来、約半世紀たって、故国の市民権を回復し、故国に自分の名前を冠した芸術センターが開設されたことの感慨は、それこそ言葉では語り尽くせないものがあるに違いない。その思いの一端を今日こうして彼は、古いフッテージの中から選りすぐった、過去の作品からは何らかの理由でカットしたいくつかの場面を公開することで、吐露していると言えるだろう。

前半の暗いセピア色の無声映像には、まだ若いジョン・レノンJohn Lennon, 1940-1980)とオノ・ヨーコ(Yoko Ono, 1933)が映っている。全体に薄暗く背景はほとんど識別できない。メカスはフィルムをムービーとして再生するのではなく、手動の映写機の回転速度を自由に変えながら、一コマ一コマを写真のように、あるいは部分的にスライドショーのようにして見ている。さらに時間を逆戻りさせる。オノ・ヨーコが小さなテーブルの上の花瓶をハンマーで破壊するシーン、タオルで目隠しして歩くシーンが非常に印象的だ。

後半はテレビのCMのようなタッチのサウンドトラック付きカラー映像。同じ部屋を舞台にしたオノ・ヨーコを主人公に相手役が次々と入れ替わる寸劇。相手が替わるたびに音楽も替わる。最初はもちろん、ジョン・レノン。ジョンがヨーコをエスコートして部屋に入って来て、窓際まで行き、窓の外を眺める。次はジョナス・メカス(Jonas Mekas, 1922-)が部屋の外から扉を明けて飛び跳ねながら中に入ってきて、窓際まで行き、すぐにまた飛び跳ねながら部屋から出て行く。姿を消したと思ったら、再びひょこり顔だけ出す。その間オノ・ヨーコは部屋の入口の椅子に俯いて大股開きで座っている。三番目はジョージ・ハリスンGeorge Harrison, 1943-2001)がオノ・ヨーコをエスコートして入ってくる。そして最後はなんとあのフレッド・アステアFred Astaire, 1899-1987)がオノ・ヨーコをエスコートして入ってくる。

これがもう一度反復される。オノ・ヨーコは黒いミニドレスを身にまとい、大きな帽子を被り、あるタイプの女を演じ切っている。メカス以外の男達は皆スーツで決めているが、メカスだけはカジュアルなジャケット姿。そしてメカスだけはヨーコをエスコートする役柄ではなく、俯き悲嘆に暮れる女を一所懸命に笑わせようと道化を演じているように見える。ちょっと意味深な映像。面白い。