(ウェブ上に日本語のまともな情報源は存在しない。)
1)Wikipedia(en)
チャン・デュク・タオに関する最低限の伝記的事実を知ることができるが、51年にパリを追われるようにして祖国に戻ってからの時間的空白や不明な点が多い。60年代から70年代にどこかの田舎に引きこもって翻訳と『言語と意識の起源』(1973)の執筆をしていたらしいが、場所は不明。80年代病気治療を兼ねてリベラルになったパリに戻り、93年に亡くなるまでの消息は不明。
2)Wikipedia(vi)
ベトナム語のウィキペディア。1)を補ってくれそうな部分もあるが、意外にも情報量は少ない。外部リンク先には若い頃の顔写真入りの記事が見られた。vdict.comの自動翻訳(越英)にかけて少しずつ読んでいる。
3)Tran Duc Thao resources from viet-studies.org. (In English, French, and Vietnamese.)
1946年の論文などチャン・デュク・タオが書いたもの、51年のロラン・バルト(Roland Barthes)による『現象学と弁証法的唯物論』(1951)に関する書評など彼について書かれたものの主にベトナム語の網羅的アーカイブ。1)の空白を補ってくれそうな1923年から1984年までの伝記と書誌のベトナム語のページもある。これもvdict.comの自動翻訳(越英)にかけて少しずつ読むつもり。彼の顔写真、自筆サインが印象的である。
蛇足ながら、2)、3)では、ベトナム語のローマ字表記「クォックグー」が非常に印象的である。ベトナム語は世界でもっとも「音楽的」な言語と言われるが、たしかに六つの声調(tone)がある。
"Tran Duc Thao"の検索で個別にヒットする代表的な論文、エッセイ。
- McHale, Shawn. "Vietnamese Marxism, Dissent, and the Politics of Postcolonial Memory: Tran Duc Thao, 1946-1993." Journal of Asian Studies 61:1 (Feb. 2002).
- Spire, Arnaud. "Tran Duc Thao, un marxiste dérangeant" (obituary). L'Humanit? April 26, 1993. (In French.)
- JACINTHE BARIBEAU, "The provocative Tran Duc Thao theses" Science and Nature (Nos 7/6, 1986, pp. 56-62)
- Silvia Federici, "Viet Cong Philosophy: Tran Duc Thao" TELOS Number 6 (Fall 1970 pp. 104-117)