札幌、雨のち曇り。昨夜は豪雨と雷鳴の音に怯えた風太郎がひっきりなしに吠えて、眠れなかった。花火の音ならいつも功を奏す音楽も無駄だった。
雨上がりの朝、藻岩山は雲の帽子を被っていた。多くの草はうなだれ、枝が折れ曲がって通りに突き出している樹も目についた。
昨晩の豪雨が坂道を河に変えたのだろう。運ばれてきた土砂がわずかに残っている場所があった。
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今日は午後から、同僚の松田潤さんの粋な計らいで、札幌芸術の森美術館で開催中のモディリアーニ展で、花崎皋平さんとお会いすることができた。チャン・ドゥック・タオ(Tran Duc Thao, 1917-1993)の一件で、誰よりもまずは『言語と意識の起原』の訳者でもあられる花崎皋平さんにご相談したいという私の勝手な思いを、松田さんが巧みに掬い上げて花崎さんに伝えてくださって実現が叶った出会いだった。
モディリアーニ展を堪能した後、池に浮かんでいるような錯覚を覚える設計のカフェで、kenjikienさんが私に託してくれた「タオ・ノート」(私の勝手な命名)の扱いを中心にして、多岐にわたる貴重なお話を伺うことができた上に、花崎さんご自身が集めてこられたタオ関連の資料を惜しげもなくお貸しくださった。近い将来、kenjikienさんの「タオ・ノート(Thao Notes)」と花崎皋平さんの「タオ・アルシーヴ(Thao Archives)」(私の勝手な命名)とを有機的にリンクさせて何らかの形でパブリッシュできればと思っている。それには花崎さんも賛同してくださり、松田さんからも貴重な助言をいただいた。
現在ベトナムにいらっしゃるkenjikienさん、オタルに住んでいる松田さんと花崎さん、数日後にはシリアに旅立つ花崎さん(キリストが話していたアラム語を聞くのが楽しみだとおっしゃっていた)、今日の出会いのそもそものきっかけをつくってくださったトーキョーのmmpoloさん、そしてサッポロにいる私・・・。不思議な縁だと思う。そして、どこにいても、どこからでもアクセス可能な手段と場所はやはりインターネットだな、と思った。ところで、花崎さんが行かれるシリアと言えば、現代でも古代アラム語がかろうじて継承されている場所だ。未見だが、アラム語の研究者であるロサンゼルスのロヨラ・メリーマウント大学のウィリアム・ファルコ教授が、セリフの翻訳および発話指導にあたったメル・ギブソン監督の映画「パッション」は英語字幕で全篇アラム語とラテン語が貫かれているという。
今日の花崎さんとの出会いの舞台だったモディリアーニ展は、正式には「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展---モンパルナスに咲いた愛と悲劇」という企画タイトルに表れているように、モディリアーニという画家の人間性を妻ジャンヌの視点から多面的に光を当てようとするもので、予想を遥かに超えてジャンヌの作品が多かった。印象的だったのはジャンヌのクロッキー帖だった。それはいわば「絵日記」のようなもので、モディリアーニによって変化していく実存の記録だった。もっとも印象的だったのは、病床に臥したモディリアーニを繊細に描いたスケッチ群だった。思わず見入ってしまった。