ジョナス・メカスによる365日映画、7月、194日目。
Day 194: Jonas Mekas
Friday July 13th, 2007
2 min. 47 sec.
Morning Glories,
Dalius Naujo at
Zebulon,
a tree on Whyte*1 Street
朝顔、
ゼブロンの
ダリウス・ナウージョ、
ホワイト・ストリートの木
A 風に微かに揺れる朝顔の白い花。無音。
B 大きく激しいドラムスの音。ナウージョの即興独奏。素晴らしいドラミングだ。メカスも歓声を上げる。
C 青空を背景に風に大きく揺れる葉の茂った大樹。白樺のようだ。マイクロフォンは風の摩擦音を拾う。
メカスは三つのかけ離れた映像を繋いでいる。形式的には、まるで5・7・5のように。つまり、映像俳句?A haiku of images?
「かけ離れた」と書いたが、たまたま先ほど拾い読みしていた、マーリオ・リゴーニ・ステルン(Mario Rigoni Stern)『野生の樹木園』(ARBORETO SALVATICO)の中にチェーホフの次のような言葉が引用されていたことを思い出した。(訳者の志村啓子さんは、札幌郊外の星置に住んでおられる。)
科学がわかる人ならば、楽曲と樹木とのあいだにはどこか共通のものがあると感じとるはずだ。どちらも、論理的であると同時にシンプルな法則によって創られている。(11頁)
- 作者: マーリオ・リゴーニ・ステルン,志村啓子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2007/06/09
- メディア: 単行本
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また、ステルン自身の、「私たちは樹木についていかに多くのことを、いまだ知らずにいることか」、「森を育てることが文明の証しであり、森を破壊することは野蛮への退行に他ならない」、「あるインディオの部族にとっては神の木であった古いオークの木を殺したかどで、終身刑になった男の話」、「古代では聖なる森を穢した者にはときに死刑が科せられた」等々の言葉から、昨日の歌声を残し姿を消したメチキチレ族のことを思った。
植物と音楽を繋ぐ「共通のもの」か……。
*1:Whiteの綴り間違い。しかし、敢えて"i"を"y"に、"Why"(なぜ)にしたように感じる。なぜ、ホワイトなんだ?という意味を籠めて。