Cinematheque Francaise Lost ?:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、7月、207日目。


Day 207: Jonas Mekas
Thursday July 26th, 2007
5 min. 54 sec.

Cinematheque
Francaise
before
its unforgivable
destruction ---

在りし日の
シネマテーク・フランセーズの姿。
許しがたき破壊以前の。

シネマテーク・フランセーズの文化的意義、めまぐるしい歴史、そして2005年9月28日にオープンした新館の情報については、ウェブ上でも事欠かないが、メカスが何を「許せない破壊」と指しているのか、最初は分からなかった。

メカスが訪れたのは、1997年の火災で閉鎖される前の、1963年に当時の文化相、アンドレ・マルロー(André Malraux, 1901-1976)の肝いりで移転したシャイヨ宮(Palais de Chaillot)内の旧シネマテーク・フランセーズのようだ。ウィキペディアによれば、97年の火災では、映画博物館の所蔵品は一晩のうちに避難されて無事だったが、シネマテークはシャイヨ宮を離れることを余儀なくされ、上映室は一年以上の間閉鎖される。同年、グラン・ブールヴァール(Les Grands Boulevards)の劇場が開館した。そして、2005年2月には、シャイヨ宮とグラン・ブールヴァールの劇場は完全に閉館が決まり、同年9月28日に、ベルシー街51番地、建築家フランク・ゲーリーFrank Owen Gehry, 1929年-)設計の旧アメリカンセンター跡の建物に新シネマテーク・フランセーズが開館した。

ウェブ上には新シネマテーク・フランセーズを訪れて感激したシネフィル(映画狂)の感想文も多いが、旧シネマテーク・フランセーズの情報はほとんどなく、しかも1997年のシャイヨ宮火災に関する詳しい情報も見つけられなかった。唯一ここhttp://paris.stay.jp/archives/article/3046.htmlで、「上映室が火事に遭い」という記述をみただけだった。

メカスは火災のことを「破壊」と言っているわけではないことは明らかだった。旧館を捨てて新館に移転したことで為された何かを「許しがたき破壊」と呼んでいると直観した。でも、何が?

「シャイヨ宮 火災」などで検索していて遭遇したgolgo139さん(id:golgo139)のエントリーがヒントをくれた。

15年前に一度、シャイヨ宮の映画博物館行ったけど、あれはすごいところだった。由来の但し書きがなければ、ただのがらくた物置。順路も減ったくれもないし、展示物が山盛りで、ほぼ無気味だった。いつか、もう一度じっくり見たいものだと思っていたけれど、もう二度と行くことはできないのだなあ。もう二度と行けない場所。というのは、あの博物館に相応しい位置を、私の記憶の中でついにあの博物館が獲得したと言うことでもある。
(2005年10月5日「シネマテーク・フランセーズ新装」)

「これだ!」と思った。golgo139さんが「もう二度と行けない場所」として記憶し記録してくれた、「あれはすごいところだった。由来の但し書きがなければ、ただのがらくた物置。順路も減ったくれもないし、展示物が山盛りで、ほぼ無気味だった」シャイヨ宮の映画博物館が、火災後復元されずに、結局捨てられたことをメカスは「許しがたき破壊」と呼んだのに違いないと思った。おそらく「がらくた」の大半は新館には収蔵されなかったのではないか。映画の記憶は良くない意味で書き換えられてしまったことへの怒りをメカスは露にしたのではないか。

ちなみに2003年に、セルジュ・トゥビアナ(Serge Toubiana)が報告書『世界のすべての記憶 Toute la mémoire du monde』を発表した後、新シネマテーク・フランセーズの館長に就任した。メカスにとっては、「映画の記憶」さえ改竄されたというのに、といったところだろうか。