My New York, My Downtown:365Films by Jonas Mekas

ジョナス・メカスによる365日映画、9月26日、269日目。


Day 269: Jonas Mekas
Wednesday, September 26th, 2007
5:47 min.

In my editing
room I reminisce
about my early
years in New York --
Alfred Leslie,
Diane Arbus,
Frank Kuenstler --

編集室で
ニューヨークの
最初の頃の思い出を
語る。
アルフレッド・レスリー(1927-)
ダイアン・アーバス(1923-1971)
フランク・キュンストラー(1928-1996)のことなど…

「ここは最近まで私の編集室だったんだ」と言いながら、古い映写機のハンドルをちょっと乱暴に回す、かなり疲れた表情のメカスは少し投げやりな様子だ。

1922年生まれのメカスは、1949年の終りに弟とともにニューヨークに渡った。そしてブルックリンのウィリアムズバーグで生活し始めた。50年代後半にはすでに「アメリカン・ニュー・シネマ」のリーダーの一人としてその名を知られるようになった。58年にはヴィレッジ・ボイスに「ムービー・ジャーナル」を連載し始め、62年にはすでにこの365日映画でも登場した「映像作家組合(FMC)」とアンソロジー・フィルム・アーカイブズの前身であるフィルムメーカーズ・シネマテークを共同で創設した。しかし1960年前後の彼の生活は決して楽ではなかったどころか、知り合いの家に転がり込んで飯を食わせてもらってなんとか生き延びるという状態だった。

メカスは「あれはたしか1958年か1959年か……、1960年頃のことだった」と語り出す。アルフレッド・レスリーの家に転がり込んで、長期間居候したときのことを思い出しながら語る。「家族もいた彼はあんな変な奴(メカス自身のこと)をどう思っていただろうな。食事ではすっかり世話になった。彼には仕事があった。私は日がな一日座っていた。外出するのに着る服さえなかった。私はとにかく孤独だった。……。でも必要なことだったんだ。成長するために。ニューヨークで。」

「その頃の夏のことだった。フランク・キュンストラーと窓を開け放った部屋にいた。エアコンなんてない。ある金曜日の夜に彼はパーティーを開いた。そこで私はダイアン・アーバスに会った。初めてだった。ダイアン……。それから何年も経ってから、ダイアンと私はチャイナ・タウンで食事をした。数人の友人も一緒だった。……。二日後、何ていうことだ、新聞に君が自殺したという記事が載ったんだ、ダイアン……(俯き目を瞑るメカス)。ダウンタウン、ニューヨーク。」

「まさにニューヨークのダウンタウンの話さ。私のニューヨーク。私のダウンタウン。今でも14丁目(street)あたりには行かない。私にとっては最初からアップタウンだからね。8丁目もね。最後に10丁目に行ったときには、ビール一杯が5ドルだった(笑)。まったく(笑)。2番街(Avenue)10丁目ではビールが5ドルだ(笑)。私はマーズ・バーで通すんだ(笑)。今でもダウン・タウンだからね。今日もまた深夜だ。……。お休み、友よ。」

***
(以下、参考までに)

Alfred Leslie: 1951-1962: Expressing the Zeitgeist

「デヴィッド・アムラム」(This Vol.1 No.2 '95 )

「道連れ──ロバート・フランク、《バス・フォトグラフス》と《1時間》」

ダイアン・アーバス

  • メカスが編集したフランク・キュンストラーの処女作『レンズ』(LENS, 1964)の電子版。

LENS, Frank Kuenstler